叙任権闘争
出典: Jinkawiki
11世紀後半から12世紀初頭までの半世紀以上にわたり、皇帝と教皇との間で起こった聖職者の叙任権をめぐる争い。クリュニー修道院出身の教皇グレゴリウス7世は、聖職売買の禁止、秘密結婚の禁止などをの教会改革運動を行い、当時皇帝が所有していた聖職者の叙任権を教皇へ取り返そうとした。これに反対した神聖ローマ皇帝のハインリッヒ4世は、教皇グレゴリウス7世から破門を宣告されてしまい、臣下や諸侯に見捨てられた皇帝は北イタリアのカノッサに滞在中の教皇に慌てて許しを乞い、城壁の雪中に3日間立ちつくして破門を許された。これをカノッサの屈辱という。この事件をきっかけに両権力間の争いはより一層激しいものとなったが、1122年、教皇カリクストゥス2世と教皇ハインリッヒ5世との間で結ばれたヴォルムス協約によって両者の妥協が成立し、解決された。
参考文献
旺文社世界史事典 旺文社三訂版 2001