方言2
出典: Jinkawiki
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言葉とは
言葉は、あらかじめ区切られた独立の存在であるものや概念の名前ではない。
人間の歴史は言語とともに始まった、と言われているが、言語の起源を探ることは非常に困難である。
言葉は、それが話されている社会にのみ共通な、経験の概念化であった、混沌とした現実を整理する役割をもつ。
日本の言葉
どこの国にも存在するが、日本にも「方言」はもちろん存在する。 日本は1960年代から方言に対する意識が高まり、方言をなくそうとしたり、なくなるのを阻止したりを繰り返している。
1 共通語
全国どこへ行ってもお互い通じ合える言葉のこと。 高年層は共通語が好きであるが、若い世代は東高西低である。 松本以東は好きの割合が多いが大垣以西では少ないのだ。
2 方言
やはり生まれ育ったところの方言は皆好きである。 しかし、東京を中心とした標準語が流通する中、方言の東西差が生まれた。 東北の人は共通語を積極的に使うようになった。 笑われた経験があるからである。 もちろん、西の人も笑われた経験を持つが、ここに人間性の違いが見られたのだ。 自身がなくても気にしないというのが西日本の人たちの性格らしい。 また、「気候」も方言には関係しているという。 たとえば、東北は早口である。 東北は寒いため、口を開いている時間を少しでも短くしようとしたからである。 そのため音節数や語数の少ない簡潔表現が多いのだ。「ドサ?(=どこに行くの?)」などが例に挙げられる。
3 共通語の手本
東京だけが「家族の言葉」が共通語の手本であり、他の地域では「テレビ」が主な手本である。 テレビの影響力がいかに協力なものであるかがうかがえる。 そしてこれだけ東京以外の地域が共通語を身に着けるのには共通語には良いイメージがあるからである。
共通語の登場により、日本人全体が場面によって「使い分け」をするようになったのだ。
方言衰退の意識
明治以降、日本語はひたすら均質化されるよう、方言撲滅を目指した国語教育や、標準語運動がなされた。 しかし、方言を惜しむ声が各地で広まったのだ。 最近の子供たちは幼いうちは方言をあまり使わずに共通語を使う。 結局フォーマルな場所で使用するものは共通語であることが常識となってしまったからだ。 場面によって使い分けることが現代人の常識であり、当然の行為である概念を作ったことが原因で方言の衰退を止めることは困難となってしまっているのが現実である。
〈参考文献〉
丸山圭三郎(著) 『言葉とは何か』 2001年 夏目書房
佐藤和之・米田正人(編著) 『どうなる日本のことば-方言と共通語のゆくえ』 1999年 株式会社 大修館書店
佐藤亮一(著) 『生きている日本の方言』 2001年 株式会社 新日本出版社
真田信治(著) 『方言は絶滅するのか 自分のことばを失った日本人』 2001年 PHP研究所
(投稿者 dorothy)
消滅の危機にある言葉
現在世界で話されている言語の数はおよそ6000語と言われている。2009年,ユネスコ(国連教育科学文化機関)はそのうち,およそ2500語が消滅の危機に瀕していると発表し,日本においてはアイヌ語,八重山語,与那国語,沖縄語,国頭語,宮古語,奄美語,八丈語の8つの言語が消滅危機のリストに加えられた。2月20日の朝日新聞(1)は,538言語が最も危険な「極めて深刻」に分類され,このうちの199語は話し手が10人以下だったことを明らかにした。また,502語が「重大な危険」,632語が「危険」,607語が「脆弱」とされたことも示している。アイヌ語は「極めて深刻」,八重山語と与那国語が「重大な危険」,沖縄語,国頭語,宮古語,奄美語,八丈語が「危険」と分類されたことも報じている。
アイヌ語(北海道 二風谷)への取り組み
アイヌ民族は,東北北部から北海道,千島列島,樺太といった地域で暮らしてきた北方先住民である。アイヌ民族は古くから独自の文化と言葉を育みながら生活してきた。その中で,独自に発達してきたのがアイヌ語である。しかしアイヌ民族の言葉であるアイヌ語は今では,ユネスコが認定した「消滅の危機にある言語」の中でも最高ランクの「極めて深刻」な言語だとされている。アイヌ語が日常的に話されていたのは,江戸時代の頃までと言われている。明治時代になると,開拓のために日本各地から,多くの人が移住した。さらに1899年には「北海道旧土人保護法」が施行され,アイヌ民族に日本語の使用が義務づけられ,それによりアイヌ語を受け継ぐ者が少なくなっていった。 しかし,アイヌ語教室やアイヌ資料館を設置したり,口承文献を残したりなど,アイヌの言葉を残そうとする活動は受け継がれている。これにより,アイヌ語教室は各地に設置されるようになった。住民のおよそ8割がアイヌ民族というアイヌの町である北海道沙流郡にある二風谷にも,アイヌ語教室が設けられている。ここではアイヌ語の学習のほかにも,ユカラという,文字を持たないアイヌ民族が昔から口伝えで継承してきたアイヌ民族の英雄叙事詩についても学ぶことができる。また,子どものクラスもあり,アイヌ語を子どもたちにも伝えていく取り組みがなされている。
八丈方言(八丈島)への取り組み
八丈島は,東京の南に浮かぶ伊豆諸島ひとつである。東京都に属するこの島は,高温多湿な気候から「東京都亜熱帯区」とも呼ばれている。八丈語とは,八丈島や,青ヶ島で使用されている言語である。荒々しい風が吹き付ける八丈島では,風に関する言葉が発達してきた。島の人々は北東の風を「ナリヤー」と呼び,北西の風を「コオムラ」と呼んできていて,風に対する独特の感性が言葉にも現れている。 昔は学校でも,教師や生徒たちの間でも島言葉が交わされていたが,1960年代半ば,島外で生活するのに困らないよう,共通語の使用がルールとなった。そのため,八丈島の言葉を受け継ぐ人が次第に減少していってしまった。そのことに危機感を覚え,最近では島言葉を記した冊子が発行された。また,八丈島の言葉を残すための活動として,島の言葉そのままで劇を演じる劇団などもつくられている。そして,学校でも再び島言葉が見直され,島言葉で劇を行ったり,方言かるたで学習したりするなどして,子どもたちに島言葉を伝えている。
奄美方言(奄美大島)への取り組み
奄美群島は,鹿児島県の南西,370キロから560キロにわたって広がる,島嶼である。生物多様性の島として知られている奄美群島では,文化や言葉の多様性も大切にしていこうと,2月18日を「方言の日」としている。また奄美市のFMラジオ局では,地域の方々の協力を得て,方言によるニュース番組や,奄美に古くから伝わることわざなどを解説する番組を放送している。 行政と地域の方々の協力で作られた方言マップは,奄美群島の小中学校に配られ,島の子ども達が方言を覚えるために活用されている。また「島唄」を通して奄美の言葉に親しんでもらおうと,「島唄から学ぶ奄美の言葉」という小中学生用のテキストも作られた。子ども達は島唄を練習し,学習発表会で唄うなどして奄美方言と触れ合っている。島の宝とされる「島唄」であるが,年々島言葉の意味や,島唄の由来がわかる唄者が減少している。そこで,この島の宝を後世に残していくために「奄美島唄伝承事業」なども始められた。同事業については,地元の新聞(2)でも報じられている。それによると,「奄美島唄伝承事業」は,地域の伝統文化の伝承とともに島唄をまちづくりや奄美の魅力の発信に活用しようと,鹿児島県が2011年度から3ヵ年間計画で進めている文化庁の補助事業である。奄美各地の島唄を把握し,データベースとして歌詞集,CDなどを作成し,教材や情報発信ツールなどとして活用を期待するものである。2011年度は554万2千円の予算を盛り込んだ。
国頭方言(与論島)への取り組み
国頭方言は,沖縄諸島北部,および鹿児島県奄美群島の与論島と沖永良部島で話される方言の総称とされる。与論島は,鹿児島県の南部,奄美群島の最南端に位置する。この島では島独自の言葉のことを「ユンヌフトゥバ」と言われる。この「ユンヌフトゥバ」を学ぶために,以前から様々な取り組みが行われていることから,与論島は方言教育の先進地と言われている。その一つが「方言カルタ」である。このカルタは,「ユンヌフトゥバ」を覚えるために作られたものであり,毎年2月には「ユンヌカルタ大会」が開催されている。また島全体で方言に取り組む与論島では,「ユンヌフトゥバ」の日が制定されている。この与論島の「ユンヌフトゥバの日」にならって,今では奄美群島全体で2月18日を「方言の日」と定めることになった。
沖縄方言への取り組み
沖縄本島には,およそ120万人の人が暮らしている。沖縄方言とは,琉球語(琉球方言)のうち,沖縄諸島中南部で話される方言(言語)の総称である。また,沖縄方言はウチナーグチ(沖縄口)とも言われる。 ウチナーグチ保護の取り組みはさまざま行われていて,ニュースでも取り上げられている。2002年6月3日の琉球新報(3)では,「ウチナーグチを伝えよう」と題して,方言の保存・継承に向けた活動を続けている,沖縄方言普及協議会による,6月からスタートされた「沖縄方言新聞」(季刊)の第1号を取り上げている。「沖縄方言新聞」は全四ページで,広告など一部を除いて漢字交じりの方言で記述されている。一面には会長の「新聞始(じがみはじ)みーる御挨拶(ぐえーさち)」を載せ,沖縄方言の大切さと沖縄文化への誇りを訴えている。特徴としてあげられていることは,ラジオ沖縄の「方言ニュース」の担当者ら会員のエッセーや地域の方言保存・継承の取り組み,また,子供向けに魚の名前を紹介するなど,楽しみながら方言を学べる紙面づくりである。 そして,2012年3月29日の琉球新報(3)では,ウチナーグチ普及に向けて,職員が庁舎窓口を訪れた市民にウチナーグチであいさつをする「那覇市ハイサイ運動」が4月から本格的に始まるのを前に,市役所での,市長による,運動のキックオフ宣言を報じた。そして,琉球新報では,市が運動を盛り上げるために,19日に「那覇市ハイサイ運動推進計画」を策定したことも取り上げている。この計画には,職員のあいさつ文は「ハイサイ」で始まり「ニフェーデービル」で終わるよう作成することや,学校現場でも伝統文化の普及啓発に関わる内容を盛り込むことなどが明記されている。このほか,ポスターや職員が作成したロゴマーク,市長自らが出演するPRビデオなどを使い,ウチナーグチの普及に努めることを目標としている。ウチナーグチに詳しくない職員のため,会話集も用意するなどの配慮もある。将来は企業の協力も得て,住民票などの自動交付機やATM(現金自動預払機)にもウチナーグチの音声を取り付けたい考えであることを明らかにしている。
宮古方言(宮古島)
宮古島は,沖縄本島から南西に300キロ離れた場所に浮かぶ島である。宮古島では島独自の言葉のことを「ミャークフツ」と呼ぶ。「ミャークフツ」とは,琉球語の内,宮古列島で話される方言の総称である。昔から海での漁が盛んであった宮古では,言葉に独特の調子が存在する。現在,「ミュークフツ」は,島の若い人の間では,ほとんど使われなくなってしまった一方で,中学校では「ミャークフツ」に慣れ親しむための取り組みが行われている。「今を生きる言葉,宮古島のことわざ」をテーマにして,宮古のことわざを自分たちが考えたストーリーに合わせて発表するなどの授業が行われている。また,ミャークフツで語る紙芝居などを作成した幼稚園もある。そして,沖縄県立博物館では,ミャークフツを学ぶための講座も開かれている。
八重山方言(石垣島)への取り組み
石垣島は,沖縄本島の南西,八重山列島に位置する。石垣島では,島言葉「スマムニ」の魅力を子ども達に伝えるために,夏休みのラジオ体操の歌詞が「スマムニ」で流れているという取り組みがなされている。これは,子どもにも親しみやすく,新川スマムニラジオ体操とよばれる。この企画は,地域の運動会をきっかけにしてはじめられた。また,石垣島に伝わるわらべ歌55曲を集めた「バガー島のわらべ歌」というCD付冊子が発行されている。冊子の発行は,島の文化を伝えるために活動している児童文化サークル「くにぶん木の会」によるものである。幼稚園では,このわらべ歌をお遊戯に取り入れている。
与那国方言(与那国島)への取り組み
与那国島は,日本の最西端である,南西諸島の八重山列島に位置する。与那国島の中学校では,島の文化を伝える授業が活発に行われている。例として,与那国の言葉で演じる狂言・キングイの魅力を伝える,郷土学習の授業などがある。その特徴として,郷土の文化と言葉,両方を親しめるということがあげられる。また,与那国民俗資料館には,島の文化を今に伝える民具が多く並んでいる。
参考・引用文献
方言ってなんだろう? http://www.hougen-gakushu.net/about_this_site/index.html
(1)朝日新聞デジタル http://www.asahi.com/shimbun/nie/kiji/kiji/20090302.html
(2)南海日日新聞 http://www.nankainn.com/
(3)琉球新報 http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-101453-storytopic-86.html
(投稿者 花)