ベトナム戦争3
出典: Jinkawiki
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起源
ベトナム戦争をアメリカとベトナムの間の戦争と限定した場合は1954年のジュネーブ協定調印へのアメリカの不参加・拒否 を起源とされている。 他には1946年末からフランスはインドシナ一帯の攻略のために戦争に乗り出す。1950年アメリカのトルーマンはフランスへの軍事援助を行い、フランス軍に武器、弾薬を送り続けた。このフランスとの戦争の影にアメリカがいたことから起源を1950年前後に求める考えもある。
ベトナム戦争 4つの段階
1954年から1975年のサイゴン解放にいたるまでの21年間の戦争は4つの場面に区切られる。
1954年~1963年 アイゼンハワーとケネディの2人の大統領の時代の対ベトナム政策 特徴 南ベトナムにおける民衆反乱、アメリカ=ゴ・ディン・ジェム体制、アメリカ援助軍司令部の設置、アメリカ人事軍顧問団と南ベトナム政府軍、「彼らの戦争」、クーデター、仏教徒の反政府運動、枯葉剤作戦、ベンチェ蜂起、南ベトナム解放民族戦線、アプバック村の戦闘
1964~1968年 ジョンソン大統領のアメリカによる全面戦争 特徴 トンキン湾事件、「アメリカの戦争」、持続的「北爆」、漸増的拡大、アメリカ軍地上戦闘部隊、「南爆」、ジェノサイド、エコサイド、ジャングル・トンネル、解放区・競合地区、中ソ対立、ソンミ事件、恐怖の逆襲
1968~1973年 ニクソン大統領の時代、ベトナム側のテト攻勢からアメリカ軍の南ベトナムからの撤退まで 特徴 テトの大攻勢、ニクソン・ドクトリン、「ベトナム化」、パリ会談、キッシンジャー、カンボジア侵攻・ラオス侵攻、B-52のハノイじゅうたん爆撃、反戦運動、パリ協定の締結
1973~1975年 パリ協定発効によるアメリカ軍撤退から、解放戦線=北ベトナム軍による全土解放 特徴 ポスト・ベトナム論、MACVの撤収、アメリカ軍無きサイゴン政府体制の自壊過程、サイゴン解放、戦争の終結、ベトナム再統一。
区分して流れを追った場合、諸段階の区切りが全体としてアメリカ側の戦争政策の変更・転機に依拠していることが理解できる。なぜかというと、この戦争がアメリカ側が仕掛けたと考えると納得できる部分がある。 アメリカはこの戦争において軍事的主導権を確保していない地域では戦闘を一切行わなかったのである。言い換えると、軍事的主導権を保持していた地域においてはその維持に動いていたのである。
参考文献 ベトナム戦争 民衆にとっての戦場 吉沢 南 著
ベトナム戦争 誤算と誤解の戦場 松岡 完 著
HN mgng
なぜベトナムは強かったのか
ベトナムが強かった理由は、まず共産主義者が農民を政治に動員する態勢を作ったという点にある。1994年から45年にかけて北ベトナムで大飢饉が起こった時に、共産党であるベトミンは籾倉を襲って食糧を奪い、それを人々に分配するということを政治方針とした。そのような方針は主に農民の心を打ち、ベトミンの勢力は北ベトナムの平野部に瞬く間に広がり、それが八月革命の原動力となった。 もう一つの大きな原動力は、1953年の土地改革だ。地主制が発達していた南ベトナムでは、ジェム政権から一度与えられた土地を奪われることになる。だからそれに対抗して農民が立ち上がり、これが労働党に南ベトナムで武装闘争を発動させるための原動力となった。また、1965年までの南ベトナムでのゲリラの活動の原動力となったのも、この農民の土地を取り返そうとする強い思いだった。
ベトナム戦争でアメリカが失敗を犯した理由
①ベトコンと北ベトナム、それを支援していた中国とソ連の地政学的な意図を見誤り、アメリカに及ぼす影響を過大に評価し過ぎていたこと。 ②南ベトナムの国民と指導者をアメリカの物差しで見ていたこと。 ③戦死するほどのナショナリズムを低く評価していたこと。 ④ベトナム人の人柄や文化について、自国と同じように考えていたこと。 ⑤軍事力や装備などの限界を理解していなかったこと。 ⑥東南アジアに軍隊を送り込むことについて、事前に議会や国民の意見を聞かなかったこと。 ⑦どうしてこのような戦争をしているのかということを国民に十分に説明していなかったため、想定外の事態が起こった時に国民の支持を得られなかったこと。 ⑧自分たちが全知の存在でないということを知らなかったこと。 ⑨多国籍軍と共に軍事行動をするという原則を守らなかったこと。 ⑩国際問題はすぐに解決できないものだという自覚がなかったところ。 ⑪行政のトップをさまざまな問題が起こった時に効果的に動けるようにしておかなかったこと。 以上が、アメリカのベトナム戦争での主な失敗点だと言えよう。
参考文献
・『歴史としてのベトナム戦争』 古田元夫 1991年発行 大月書店 p.73-74 ・『マクナマラ回顧録――ベトナムの悲劇と教訓』 ロバート・S・マクナマラ著、仲晃訳 1997年発行 共同通信社 p.429-432
H.N:C.K