スカーフ事件3
出典: Jinkawiki
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フランスにはヨーロッパ各国では一番多い約500万人のムスリムがいると推定されている。マグリブや西アフリカそして東南アジアといった植民地から移民してきた人々である。 1989年、公立中学で3人のムスリム女生徒がスカーフ着用して登校した。校長が取るように命令したが3人は拒否、その結果、授業を受けることを禁じられた。これが後にヨーロッパ各国へも飛び火した「スカーフ論争」のきっかけとなった事件である。校長の処置を支持する意見と非難する意見とが当時のフランスを二分した。 スカーフ着脱派および政府見解としては、これはフランス共和制主義の大原則におよぶ話なのだ。共和制市民というものは、各々が持つすべての属性を一旦捨ててから、完全なる個として社会の一員となることを求める。ゆえに、宗教を含めた個々の属性は「私的」なものであり、学校等の「公的」空間とは厳格に区別されなければならないのである。宗教が支配した中世以来の歴史の教訓から、現在では「ライシテ」という公的空間における非宗教性の原則により、国家と教会を分離、公的領域では非宗教的を貫く世俗主義が国家の基本として運用されてきた。そこから、宗教的意義に基づいたスカーフを着用することは、宗教布教につながり、何人も侵されない筈の人権を侵害しているとして、認められないこととなる。フランスの「博愛」とは、フランス共和国の原理原則に従う契約を結んで社会を構成するメンバーとして認知した場合にのみ、適用される厳しい愛なのである。 1994年にも再燃したが、これはすぐ鎮火した。しかし2003年、当時内務大臣だったニコラ・サルコジのフランス・イスラーム組織連合UOIF発言「フランスでは、身分証明書の写真は、スカーフなしで撮影しなければならない」が、大きく反発を呼ぶ。そして2004年2月、日本の衆議院にあたる国民議会は、公立学校で宗教的な標章を着用することを禁じる法案、いわゆる「スカーフ禁止立法」を制定し、スカーフ問題に一定の結論を出した。これは、ムスリムのスカーフの他、クリスチャンの十字架、ユダヤのキッパが同法の適用となったのである。
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