アメリカ同時多発テロ
出典: Jinkawiki
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事件内容
2001年9月11日オサマ=ビン=ラディンを指導者としたイスラーム過激派のアルカイダによりアメリカの旅客機計4機がハイジャックされそのうち2機が世界金融の中心でありアメリカ繁栄の象徴でもあるニューヨーク・マンハッタンの世界貿易センタービルの南北2棟に乗客もろとも追突した自爆テロである。同時刻に3機目がワシントンの国防総省ビル(通称ペンタゴン)に突入した。8時46分に世界貿易センタービルのノースタワーにハイジャックされたアメリカン航空11便が激突、この模様がテレビで中継されている中で9時3分にサウスタワーにユナイテッド航空175便が衝突した。これによりタワーは2棟炎上し9時59分にサウスタワーは崩壊していった。この事件の死亡者は約2973名とされ負傷者は約6291名、日本人は約24名であった。尚、この事件は「新しい形の戦争」と呼ばれるようになり、非常に緻密な計画性の観点などから「テロ史上最悪」とされている。尚、この事件当時や追突の瞬間の映像は今でも残っており我々でも見ることもできる。
事件後の情勢
日本 この時の日本の内閣は小泉純一郎政権であり、この事件が起きた後米軍への支援も理由に11月に「テロ対策特別支援法」を公布して物資支援や自衛隊派遣を行った。
アメリカ この事件後当時の大統領であったブッシュ(子)大統領は「全面報復戦争」を宣言し、タリバン政権を「テロリストと同じ」と判断し空爆を開始、そしてタリバン政権を崩壊させた。1年後アメリカは「テロ支援国家に対し、先制攻撃する権限を持つ」と発表、3月20日にテロ支援国家と認定したイラクに先制攻撃を行った。首都であるバクダットを占領し5月に「戦争終結」を宣言した。この時アメリカはニューヨーク証券引取所を閉鎖し「金融緩和政策」を行った。
犠牲者とその家族
多くの被害者や犠牲者を生み出したこの事件であるが、ハイジャックされた旅客機の乗客の何人かは最後に家族と連絡を取り合うものもいた。助からないと思っていても最愛である妻や子どもに最後の言葉や愛の言葉を言ったりしていた。また、遺体も追突により蒸発してしまって5体すべてが見つからなくて体の1部分しか見つからなかったなどの悲しいことも起こっていた。事故後のニューヨークでは自分の家族等の安否を知るため街の至る所に写真を貼るなどして周囲から情報を求めたり、病院でも運ばれてきた人のリストを作ったりして周りへの情報提供を行っていた。
事故後の問題
事故からしばらく経った2010年に9・11事件の跡地である「グラウンドゼロ」付近にモスクを建設しようという計画が出てきた。モスクとはイスラームの建物であるが、それを巡って「イスラーム教徒が起こした事件であったのにその跡地にイスラーム文化の建物を建てるのは事故で無くした人がいる遺族の感情を傷つけることではないのか。」や、「跡地に建てるのはアメリカの敗北を意味するではないか。」と主張する反対派と「人間には宗教の自由がある、だからその自由を守るべきである」と主張する賛成派が現れ対立していた。この時はすでにブッシュではなくオバマ大統領になっており最初は「憲法上建設する権利がある。」と述べ賛成であったが、世間や各党からの批判がひどく翌日には発言を取り下げざるを得なかった。現在ではモスクは建設されておらず跡地には「ワンワールド・トレードセンター One World Trade Center」が建築されているのである。
参考 参照
山川出版社 改訂版詳説世界史B 帝国書院 最新世界史図説 タペストリー 新訂版 2013新政治・経済資料 URL:http://www.newsweekjapan.jp/reizei/2010/08/post-185.php 当時の映像:http://www.youtube.com/watch?v=pZB_zi6lQh4
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