宮沢賢治3
出典: Jinkawiki
宮沢賢治
宮沢賢治は明治29年8月27日に岩手県花巻町で生まれた。戸籍では8月1日生まれとなっているが明らかに記載の誤りである。 これは彼が誤られはじめた第一歩であって、将来も誤まり伝えられる運命を暗示しているかのようである。 賢治の生まれた明治29年という年は、東北地方に種々の天災の多い年であった。賢治が生まれた5日後の8月31日には、西方約25キロメートルにある沢内村川舟に2メートルに及ぶ断層を生ずるほどの大地震が発生、また6月15日には三陸海岸に大津波が襲来し、多くの爪痕を残したなど、賢治の生涯が容易ならぬ苦難に満ちたみちであるのを暗示しているように感じられるようなたんじょうである。 賢治の家質店をしており冷害などで生活が困難になるたびに家財道具など売り、生活費に充てる姿にたびたび接し、この体験をしたことが後に大きな影響をもたらしたとされている。
短歌制作
賢治は明治42年に花城小学校を卒業し、盛岡中学という受験者334名中134名しか合格者を出さない高倍率の中をくぐり抜けて合格した。 しかし、入学後の賢治には後世に名を馳せる人物に相応しいような傑出した成績を上げるのではなく、後の賢治を彷佛とさせるようなエピソードに満ちているわけでもない。賢治は年を追うごとに成績を下降していった。それには進学に関する問題が影響されていると考えられている。 賢治が短歌制作を行ったのがこの中学の時である。賢治が最初に短歌を創作したのは中学3年の時だと考えられ、短歌は賢治の最初の文学的創作物である。 賢治にとって作った短歌は日記のようにして創作し、賢治の内省へと導き、自我意識の醸成に貢献したと考えられている。賢治は中学では寄宿舎暮らしをすることにより、日記を書こうという習慣が生まれたということではなく、日記こそが人を内省へと導き、賢治は作歌するようになったのである。