熊谷空襲
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熊谷空襲は、太平洋戦争末期の1945年(昭和20年)8月15日0時23分から1時39分にかけてアメリカ軍により行われた埼玉県熊谷市に対する空襲である。埼玉県内における最大規模の空襲であり、熊谷市は県内唯一の戦災指定都市となった。
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概要
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作戦任務第329号
- 日付 1985年8月14・15日
- 目標 熊谷市街地
- 参加部隊 第313・314航空団
- 出撃機数 93機
- 第一目標爆撃機数の割合 87.09%(81機)
- 爆弾の型と信管 M17 500ポンド焼夷収束弾とM19 500ポンド焼夷収束弾 目標上空5,000フィートで解束するようセット。
M47 100ポンド焼夷弾 瞬発弾頭。
M56 4,000ポンド通常爆弾 近接信管弾頭と無延期弾底 - 投下爆弾トン数 593.4トン
- 第一目標上空時間 8月15日0時23分から1時39分
- 攻撃高度 14,000~19,000フィート
- 目標上空の天候 0/10-5/10
- 損失機数合計 0機
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備考
野戦命令による航空団以外からもB29が参加しており、熊谷空襲では1機が任意に参加している。
米軍はこの日で日本本土空襲を終了すると了解しての行動であると思われる。
M47、M69焼夷弾が主に用いられるなど、あらかじめ住宅地域を攻撃対象とした作戦だったと考えられる。
熊谷は市街の70%が焼き尽くされ、15,000人がその住居を失った。
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参考資料
小山仁示訳『日本空襲の全容』東方出版
太平洋戦争研究会『アメリカ軍の日本焦土作戦』河出書房新社