演劇

出典: Jinkawiki

2016年7月30日 (土) 11:31 の版; 最新版を表示
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1.演劇とは

台本に従って俳優が舞台上で言葉と動作によって表現し、観客に見せる芸術。俳優の動作・台詞・まわし・脚本・音楽・装置・照明な ど、色々な要素が鑑賞の対象となる総合芸術。芝居や劇、ミュージカル、など。 元をたどると、すべて同じ根から発生している。それは原始時代にさかのぼり人間の宗教的な舞台である。今日においても、場所によっては演じられているものだが、それはときに祈祷であったり、感謝の踊りや武勲を祈る踊り、また悪霊を払う踊りといったものだったりする。民族に伝わる伝説や歴史は、舞踏と歌という形をとって上演されてきたのである。すなわち、演劇は、広い意味では、人類の歴史と同じくらいに古い歴史を持っているといえる。演劇作家は世界のあらゆる戦争などの社会に触れ演劇を創り上げてきた。


2.ギリシャ

現存する最古の劇場はギリシャにみられる。 紀元前6世紀、ギリシャ悲劇はディオニュソス神を祭る賛歌、ディテュランボスから生まれた。これはアリストテレスの説だが、ギリシャ喜劇が男根崇拝の歌から生まれたとする説もある。 紀元前534年アテーナイで開催された最初の演劇祭で詩人テスピスが優勝した。市のディオニニュシア祭りは、アテーナイで毎年春4日間にわたり開催され、レナイア祭は毎年1月3日間開かれる。紀元前500-300年ギリシャ演劇の最盛期。悲劇、喜劇、サテュロス劇。 紀元前525年アイスキュロスの誕生。ヨーロッパ演劇の真の創始者でオレステイアの作者。 紀元前496年ソフォクレスの誕生。英雄を個人としてみて描いた悲劇に優れた。 紀元前484年エウリピデスの誕生。探求心の旺盛な才能がありメディア、バッコスの信女などの著者。 紀元前448年アリストファネスの誕生。古代ギリシャを代表する喜劇作家。 紀元前384年アリストテレスの誕生。詩学の中で悲劇の本質を分析した。 ギリシャの劇場は古典時代、ヘレニズム時代、ローマン時代の3つに分けられる。 古代ギリシャ時代の悲劇役者は、共同体の中で尊厳を受けている人が選ばれる。これは、演劇の宗教的な発祥からきている。演劇が宗教から離れるにつれて、役者の社会的な地位も衰退していったのである。観客席が大きく、役者が小さく見えてしまった。そこで、底の厚い木製の長靴、大きく結い上げた髪をすることで、役者の身長は2メートル25センチにもなった。更に釣り合いをとるために衣装に詰めものをし、それに合わせて当時の衣装チトンとコートをきた。コートの色には意味合いがあり、王族なら紫、喪中の人なら黒などのような感じであった。ボロ布は貧者、王冠は王族、杖は障がい者で表した。仮面が用いられており、これにも人物の様々な特徴があったが演者は皆、男性であったことから性別まで分かるようになっていた。比較的に早い時期から、様々なからくりが用いられてきた。その数、15から20程の種類があった。


3.ローマ

紀元前300-西暦500年、ギリシャ演劇から生まれたが、悲劇よりも喜劇の方が人気だった。 紀元前251年プラウトュス誕生。人気のある喜劇作家で、ルネサンス期以降の作家たちにも影響を及ぼした。 紀元前195年テレンティウスの誕生。喜劇作家でプラウトュスと同じようにギリシャに影響を受け、後世の劇作家に大きな影響を与えた。 紀元前4年、セネカの誕生。悲劇作家で、上映用というよりも、その芝居は読むためのものだった。 初めに元老院の許可をとることができたのは、木造の劇場だけだった。石づくりの劇場が建てられた時には、元老院が取り壊しを命じるほどだった。元老院の態度の軟化から将軍ポンペイの指示で最初の石造りの劇場が建てられるようになった。劇場の多くがいまだに現存している。役者はだいたいが奴隷の集団であり、個々の上演を行えるように支配者の訓練を受けたものだった。ギリシャとあまり変わらないが、衣装はより一層てのこんだ象徴性が与えられ、白は老人、紫は若者、売春婦は黄色を身にまとい、白髪は老人、黒髪は若者、赤毛は奴隷と表していた。ギリシャ的な演劇が没落する中、愚かな老人、浮気性な人妻、お調子者のイケメンなど人物がでて来るどたばたとした笑劇ミムスが流行った。このとき、初めて舞台上に女優が登場した。


4.中国

580年、歌と踊りの物語の演劇化。 720年、唐の皇帝玄宗が南京に梨園という俳優の学校を作る。 演劇の類は中国では、はやい時期に生まれていた。紀元前7世紀には宗教的な祭礼にもう、演劇的な要素が見られた。しかし、中国演劇の元と言える伝統は8世紀に唐の玄宗皇帝の下で始まった。芝居は民の知っている物語に元づいている喜劇が多かった。2人の役者で、宮殿内で演じられることがほとんどだった。芝居の上演に使われた舞台は一時しのぎのものに過ぎなかった。古典的な舞台は木製で脚柱に乗せた高台で、頭上を屋根が覆っていた。


5.日本

初期の仏教の祝祭の一環としてあった演劇の要素は、8世紀までには演劇形式に発展していた。しかし、古典芸能としての能楽が確立するのは14世紀のことだ。以降、能の形式はほとんど変化していない。2人から6人の役者が能には登場する。主人はシテ、同伴者をツレ、副次的な人物をワキ、その同伴者をツレワキといい、ときには子どもが勤めるコカタなどが登場する。役者は皆、男性で子供の頃から特別な訓練を受ける。豪華な極彩色の着物を身にまとい、シテとツレは美しい細工の能面をつけている。能楽のテーマはすべて、民間に伝わる有名な伝説である。演技は高度に様式化されていて、素人の観客には意味がつかみにくい。


6.劇作家

・アイスキュロス紀元前525‐紀元前456年、ギリシャの三大悲劇詩人の一人。アテナの貴族の家柄のエウフォリオンの子としてエレウシスで生まれ、クレイステネスの民主的改革の時代に成人し、ペルシア戦争ではマラトン、サラミスなどの戦場に出征、その経験が作品に反映されている。前484年以後13回の勝利を悲劇競演において収め、生涯に90編の作品を書き、そのうち7編の完全な作品が現存している。彼はヨーロッパ演劇の創始者と言われる。

・ソフォクレス紀元前496‐紀元前406年、古代ギリシャ三大悲劇詩人の一人。詩人として、また一市民として輝かしい業績を残した彼の90年の生涯は、前5世紀というアテナの最盛期のほぼ全体と一致し、それ自体ギリシャ古典文化の典型であり、また象徴と称することができる。早くも前468年、大ディオニュシア祭の悲劇競演で先輩詩人のアイスキュロスを破って初優勝を遂げて以来、彼は生涯に24回の優勝を数えたといわれている。その間に一市民としては前443‐前442年にデロス同盟の財務長官を務め、前440年にはペリクレスの同僚の将軍としてサモスに遠征し、シチリア遠征直後の危機に際しても最高委員の一人として祖国再建の任に携わっている。

・エウリピデス 紀元前480年頃 - 紀元前406年頃 古代アテナのギリシャ悲劇における三大悲劇詩人の1人である。紀元前455年に『ペリアスの娘たち』などからなる四部作でディオニュシア祭に最初の出場を果たしたが、それから初の優勝を得るまで14年もかかっている。50年間に及ぶ芸歴の中で92の作品を書き22回の上演をしたが、優勝は生前に4回、死後に1回、合わせて5回だけであった。しかし、エウリピデスが同時代の人からの評価を受けていなかったとは言えない。むしろ、『蛙』に表れているように、賞等を決める保守的な層に嫌われたことが大きな原因であると言うべきだ。

・アリストパネス 紀元前446年頃 - 紀元前385年頃 古代アテナの喜劇詩人、風刺詩人である。代表作はソフィストを風刺した『雲』、デマゴーグのクレオンを痛烈に面罵した『騎士』、アイスキュロスとエウリピデスの詩曲を材に採り、パロディーなどを織り交ぜた優れた文芸批評に仕上げた『蛙』など。ペロポネソス戦争に対しては一貫して批判的であり、『女の平和』のような直接的に戦争に反対する内容の作品もある。アテナの同時代の実在の人物、ソクラテスやエウリピデスなどを取り上げて風刺することが多かった。

・カーリダーサ 生没年不詳。 インド古典文学史上最高の詩人,劇作家。その生涯は伝説につつまれているが,グプタ王朝の最盛期,4,5世紀ころに,アバンティ国のウッジャインで文学的活動をしたと推定されている。最も有名な作品は,7幕よりなる戯曲シャクンタラーである。この作品は古くから西欧にも紹介され,1789年に翻訳されてからロマン主義の文人たちに愛好された。ゲーテがその独訳を読んで賛辞を述べたことはよく知られている。

・ロスヴィータ935年頃 - 973年頃 ガンダースハイム修道院にいた10世紀ドイツのベネディクト会修道女、そしてオットー朝ルネサンスに属するラテン語の劇作家、詩人。マリア、ガンゴルフ、ペラギウス、テオフィルス、バシリウス、ディオニュシウス、アグネスなどを書いた。

・世阿弥1363~1443詳しくは不明。 室町前期の能役者・能作者。観阿弥の長男で、2代目の観世大夫。本名、観世元清。通称三郎。足利義満の後援を得て、能楽を大成した。「風姿花伝」「花鏡」「至花道」ほか20に余部の伝書は、日本の芸術論を代表する。能の作品に「高砂」「老松」「清経」「井筒」「砧」「融」など多数存在する。

・ローペ・デ・ベガ スペインの劇作家。国民演劇の創始者で,カルデロンとともに〈黄金世紀〉を代表する。生涯に400編(うち80編が現存)の戯曲を書き,そのジャンルは聖人伝,史劇,幕間狂言,聖餐神秘劇など多岐にわたっている。マドリードで生まれたベガは、子供のころからその類まれな才能を見せ始めた。父は刺繍職人、5人兄弟の3番目であった。5歳の時にはスペイン語とラテン語を読み、12歳で4幕の戯曲を書いたという。イエズス会の学院に学び、イエズス会劇に影響を受けた。アルカラ・デ・エナーレス大学に進学するも、修了していない。現存する最初の戯曲『ガルシラソの偉業』は1579年に書かれている。 1583年、20歳になったロペは、女優ですでに人妻のエレナ・オソリナと恋に落ちる。彼女は、当時ロペが台本を書いていた劇団の座長の娘であった。ロペは、恋の対象を作品中に登場させるのを常とし、彼女はフィリスという名でロマンセの中に現れ、晩年の『ラ・ドロアテ』では、主人公ドロアテとして、若き日の美貌を伝えている。17世紀に入る頃にはスペイン最高の劇作家として知られ、その作品は王家や貴族から庶民に至るまで、広く愛された。

・シェイクスピア、ウィリアム 1564~1616 イギリスの劇作家、詩人。生きているうちから成功し、名を挙げた。ここ200年のうち、史上最大の劇作家としての名声が高まり、人気を集めるようになった。裕福な中産階級に生まれ教育の程度は高かった。その生涯は、当時の劇作家にしては例外を除いてよく、資料が残されているほうだ。シェイクスピアの戯曲の多くは、西洋を問わず世界全体の中で優れた文学作品として評価されている。当時としては一般的なことであったが、シェイクスピアの戯曲は他の劇作家の作品に依拠しているものや、古い説話や歴史資料文献に手を加えたものが多い。例えば、おそらく『ハムレット』は現存していない前からあった作品を改作したものであることや、『リア王』が同じ題名の過去の作品を脚色したものであることなどが研究の結果明らかとなっている。 また歴史上の出来事を題材としたシェイクスピアの戯曲は、古代ローマや古代ギリシァを舞台としたものと近世イングランドを舞台としたものの2種類に分けられるが、これらの作品を書くにあたり、シェイクスピアが資料として主に用いたテキストは2つある。前者の材源はプルタルコスの『英雄伝』であり、後者が依拠しているのはラファエル・ホリンシェッドの『年代記』である。『年代記』は史劇だけでなく『マクベス』や『リア王』の素材ともなっている。 またシェイクスピアは同時代の劇作家クリストファー・マーロウの文体を借りていると考えられることもある。 シェイクスピアの作品の中でも、劇作法、テーマ、舞台設定などの点からみて最も独創的といえるのは『テンペスト』である。後期の喜劇作品に「ロマンス劇」の語が適用されることもある。シェイクスピアの戯曲の正確な創作年代については多くの考えがある。そして、謎がとても多く、シェイクスピアはいなかったという考えもある。一つの作品について極端に異なる二つのヴァージョンが存在する場合に問題は深刻になる。バッド・クォートと呼ばれる、ズタズタに切り刻まれた粗悪なものが数多く存在するが、これらはファースト・フォリオの編者が「盗用された海賊版」と非難しているものとだと考えられるだろう。それほど台無しにされたわけではない異なった本については、一概に無視できないものである。例えば、『リア王』の四折判と二折判には大きな違いが見られる。伝統的に、編者は両方のヴァージョンからすべての場面を取り入れて融合することにしている。しかし、マドレーン・ドーラン以降、両方を別物とみなし、『リア王』という1つの戯曲に2つのヴァージョンの存在を認めるという動きもある。ゲイリー・テイラーとロジャー・ウォーレンは『リア王』に見られるようなことは、1つのテキストが違った形で刊行されたのではなく、テキスト自体が違った形で2つ存在していたためだという説を提唱している。 この仮説は広く受け入れられているわけではいないが、その後数十年間の批評や編集の指針に影響を与えており、ケンブリッジ版とオックスフォード版では、『リア王』の四折判と二折判のテキストが両方とも別個に収録されている。他にもシェイクスピアは『ヘンリー六世 第1部』『ヘンリー六世』『リチャード三世』『間違いの喜劇』『じゃじゃ馬ならし』『タイタス・アンドロニカス』『ヴィーナスとアドーニス』『ルークリース陵辱』『ソネット集』『ロミオとジュリエット』『夏の夜の夢』『ヴェニスの商人』『空騒ぎ』『お気に召すまま』『十二夜』『ヘンリー四世』『ジュリアス・シーザー』『ハムレット』『マクベス』『オセロ』『終わりよければ全てよし』『尺には尺を』『アントニーとクレオパトラ』『アテネのタイモン』『ペリクリーズ』『シンベリン』『冬物語』などたくさんの作品を残している。


7.参考資料

・世界演劇辞典 開文社出版・演劇入門 講談社・演劇への入口 岸田国士


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