EU5

出典: Jinkawiki

2016年7月30日 (土) 18:28 の版; 最新版を表示
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目次

EUとは

欧州連合(European Union)の略称。独特な経済的、政治的協力関係を持つ民主主義国家の集まり。加盟国数は当初の6ヵ国から28カ国となり、人口5億人の地域となっている。関税同盟、経済分野での共通政策、市場統合、共通通貨ユーロ導入等の面での統合が実現しており、EU加盟国はみな主権国家であるが、その主権の一部を他の機構に譲るという、世界で他に類を見ない仕組みに基づく共同体を作っている。

  • EUの目的
1992年2月に欧州連合(EU)の創立のため定められたマーストリヒト条約内で、EUの目的について以下のように規定している。
  1. 域内国境のない地域の創設、及び経済通貨統合の設立を通じて経済的・社会的発展を促進すること
  2. 共通外交・安全保障政策の実施を通じて国際舞台での主体性を確保すること
  3. 欧州市民権の導入を通じ、加盟国国民の権利・利益を守ること
  4. 司法・内務協力を発展させること
  5. 共同体の蓄積された成果の維持と、これに基づく政策や協力形態を見直すこと

歴史

ヨーロッパ統一思想の萌芽

ヨーロッパの大部分の領域はかつて、ローマ帝国、東ローマ帝国、フランク王国、神聖ローマ帝国、オスマン帝国、フランス第一帝政、ナチス・ドイツといった武力を背景とした帝国のもとに統一されていたが、戦後の壊滅的な状態下で欧州統合の思想が西ヨーロッパで広まっていった。欧州統合の構想を提起した思想家には、ウィリアム・ペン、シャルル=イレネー・カステル・ド・サン=ピエール、ヴィクトル・ユーゴー、リヒャルト・クーデンホーフ=カレルギー、ジュゼッペ・マッツィーニ等の多くのヨーロッパ人が挙げられる。中でもクーデンホーフ=カレルギーは1923年に「汎・ヨーロッパ」と題する書物において平和的世界統一の第一段階としてのヨーロッパ統一を呼びかけ、第一次大戦の傷跡の残るヨーロッパに一つの希望を投げかけた。

カレルギーの欧州統合論

  • 第一段階 各国で構成する欧州会議の開催。軍縮、関税、通貨などで共通の利益を検討する委員会設置
  • 第二段階 欧州仲裁裁判所の設置。加盟国間の相互安全保障条約の締結
  • 第三段階 欧州全域で関税同盟と、通貨同盟締結。単一経済圏の創設
  • 最終段階 欧州合衆国の誕生

チャーチルの「合衆国」構想

第二次世界大戦により欧州の荒廃はさらに進んだ。そうした荒廃の中から、欧州統合の声はさらに強まった。きっかけの一つは、戦時中に英首相となったチャーチルが戦後の1946年9月にスイスのチューリッヒ大学で行った演説だった。英国を勝利に導いた名宰相も大戦終了直前の総選挙で敗北し、野に下っていた。大戦中に欧州理事会設立を提唱したチャーチルは「もし欧州の諸民族が団結できるならば、欧州人は共通の幸福感を抱き、無限の名誉を感じるだろう。我々は米合衆国に似たものを建設し、育てなければならない。この緊急の使命を達成するために、まずドイツとフランスが手を結ぶ必要がある。」と熱弁した。この「欧州合衆国」を掲げた演説は、戦火で打ちひしがれていた欧州各地で反響を呼んだ。1947年2月にはチャーチル自身を会長とする「欧州連合運動」が発足した。大戦中、米国に亡命していたカレルギーも汎欧州運動を復活させた。他にもいくつかの欧州統合団体が生まれ、統合への礎となっていった。

「欧州統合の父」ジャン・モネ

フランスのジャン・モネは大戦後の欧州統合を精力的な行動で実現した。「欧州統合の父」と呼ばれ、最初の「欧州名誉市民」の称号を得ている。モネは第一次世界大戦中から、「欧州各国が繁栄を勝ち得るには各国ごとでは小さすぎる。各国を単一の経済単位にまとめる欧州連邦を結成しなければならない。」と主張、欧州域内の独仏の関係を和解に導く全欧的な枠組み作りを提唱した。またモネは、欧州の安定だけではなく国際協調も強く意識していた。第二次世界大戦後は、フランスの戦後復興のために仏政府の経済計画部総裁に就任した。しかしモネは自国の復興だけでなく、独仏の宿命的な対決を回避し欧州復興を目指す構想を練り上げた。

ECの発足

ECSC(欧州石炭鉄鋼共同体)の設立

ジャン・モネの構想に、欧州統合派のフランスのロベール・シューマン外相(後に首相)が賛同し、現実化への一歩が踏み出された。そしてシューマンは石炭鉄鋼共同管理案を提唱し、「シューマン・プラン」を発表。独仏間の対立に終止符を打つために両国の石炭・鉄鋼産業を超国家機関の管理のもとに置き、これに他の欧州諸国も参加するというECSC(欧州石炭鉄鋼共同体)の設立を提案した。シューマンの声明に基づき、1951年にフランス、イタリア、ベルギー、オランダ、ルクセンブルク、西ドイツはECSCを設立するパリ条約に著名。こうしてEUの統合組織の第一号となるECSCとして実現した。後に1985年の欧州理事会においてEU首脳たちは、5月9日を「欧州の日」として祝うことを決め、翌年から欧州全体の祝いの日となっている。シューマン・プランは、西ドイツが占領下から解放され、主権を回復するための前提でもあった。ジャン・モネは設立されたECSCの最高機関の初代委員長に就いた。ECSCは最高機関、諮問機関、閣僚理事会、共同総会および裁判所から構成された。独自の裁判所を備えたのは、最高機関が石炭、鉄鋼の生産や価格などの決定権を持つのに対し同機関の決定によって利益を侵害された企業や個人が裁判で争うことができるようにしたためである。セクター別の統合路線は、石炭と鉄鋼分野では共同生産や市場化の統合効果が出たが、ECSCの加盟国間でも、両分野以外の金融、税制、通貨、雇用などの市場条件は別々のままだった。したがって統合効果は限られていた。さらにECSCの柱の一つであった石炭産業は、石油の台頭を受けて斜陽化した。

EEC(欧州経済共同体)とEURATOM(欧州原子力共同体)

ECSCの成功を受け、エネルギー分野での経済協力を中心に欧州の共同関係が進展を見せる。1957年3月、独仏など6ヵ国がEEC(欧州経済共同体)EURATOM(欧州原子力共同体)の設立を規定する、ローマ条約に調印した。EECとEURATOMはECSCとは異なり、政策執行機関が「最高機関」ではなく「委員会」とされた。ECCはヴァルター・ハルシュタインが、EURATOMはルイ・アルマン、エティエンヌ・イルシュがそれぞれ委員長を務めた。ローマ条約は一時批准失敗の懸念に包まれたが無事可決された。これに対し、英国は共同体機構を前提としたEECの仕組みを嫌って、EECに加わらなかった。代わりにスウェーデン、ノルウェー、デンマーク、スイス、オーストリア、ポルトガル同盟を結び、EFTA(欧州自由貿易連合)を発足させた。ECCが外交などにおいても共通政策を模索しようとしていたのに対し、EFTAの協力関係は域内の経済、貿易の自由化に限定されていた。その後アイスランド、フィンランドが加盟した。しかし、1961年には重要な役割を担っていた英国がEECへの加盟申請を表明するなどして、結果的には多くの国がそれに続いた。
  • 米国との関係
1947年6月、米ハーバード大学の卒業式でジョージ・マーシャル米国務長官は、欧州への戦後援助の必要性を強調した。これがマーシャル・プランと呼ばれる欧州復興計画である。同計画に基づき、1948年4月にOEEC(欧州経済協力機構)が西欧16ヵ国(後に18ヵ国)の参加で設立された。これを受け米国は、1948年から1951年にかけて、総額約131億ドルを、無償ないしは低金利で欧州諸国に援助した。米国は欧州への経済支援と並んで、軍事面では1949年9月にNATOを結成し、調印した。このように、戦後の欧州統合の土台を築く上で、米国の経済、軍事の両面にわたる支援が大きな力になったことは間違いない。その上で、欧州統合への歩みは長い年月をかけ、欧州人自身の手で積み上げられていくのである。

3つの共同体の統合

パリ条約、ローマ条約で出そろったEEC、ECSC、EURATOMの3機関は当初、それぞれ個別の総会や閣僚理事会、司法機関を持ち、本部はECSCがルクセンブルク、EECとEURATOMはブリュッセルと別々だった。そのため相互調整の必要性が高まってきた。そこで、1965年、3機関をEC(欧州共同体)として統合、再編成する併合条約がブリュッセルで著名され、1967年7月にECが発足した。当初の加盟国はベルギー、ドイツ、フランス、イタリア、ルクセンブルグ、オランダの6ヵ国であったが、その後新たに、デンマーク、アイルランド、イギリス、ギリシア、スペイン、ポルトガルが加盟し、1986年までに12ヵ国に拡大した。3共同体の政策執行機関となった欧州委員会の初代委員長には、ジャン・レイが就任した。1969年オランダのハーグで開かれた欧州理事会では、新段階に向かうECの目標として「完成」「強化」「拡大」「政治協力」の4つを掲げた。しかし1970年代、ニクソン・ショック、第一次、第二次の石油危機なでど欧州経済は打撃を受け、「ECの停滞の時代」を迎える。
  • ECの4つの目標
  1. 「完成」 ローマ条約が定めた共同市場をさらに確実なものにし、完成を目指す。
  2. 「強化」 共同市場のの次の目標として、経済通貨同盟(EMU)創設を掲げる。
  3. 「拡大」 加盟国の増大。1973年には英国、デンマーク、アイルランドの3ヵ国が加盟した。その後、ギリシャ、スペイン、ポルトガルも加盟し、12ヵ国にまで拡大した。
  4. 「政治協力」 政治に関わることにおいても各国間で協力をしていこうという考え。

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