資源ナショナリズム
出典: Jinkawiki
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資源ナショナリズムとは多国籍企業や先進工業国による資源の乱掘,利益独占などの経済的支配に反対し,重要資源について国有化や民族資本の経営参加を求めるといった,資源産出国による自国の天然資源に対する主権確立の思想と運動のことである。具体的にはOPECに見られるような価格引上げ,採掘規制,外国企業の国有化といった天然資源の完全恒久主権確立への動き,さらには1次産品カルテルを軸とした新国際秩序の要求といった動きである。資源ナショナリズムの萌芽は,1962年の国際連合における「天然資源に対する恒久主権の権利」の宣言のなかにみいだされる。この宣言は,[1]天然資源が保有国に属し,資源保有国の国民的発展と福祉のために用いられるべきこと。[2]資源開発に従事する外国資本の活動について,資源保有国が種々の条件・規制を課すことができるこ と。[3]資源開発により得られた利益は,投資側と受入国側との協定に従って配分されねばならないことを内容とするものであった。1973年、石油危機において資源ナショナリズムは、その威力を発揮した。アラブ諸国は、原油価格を吊り上げ、対イスラエル政策への賛同と石油輸出をリンクさせたのである。こうして、資源は「先進国に売らなくてはならないもの」から「先進国との外交交渉におけるカード」へと変わった。資源輸出国は交渉力を高めるために、資源毎の連合を組んだ。こうした資源ナショナリズム高揚の背景には、 (1)60年代の先進国援助による経済開発が実質的効果をあげられず南北格差はむしろ拡大し,発展途上国は農業問題,債務累積問題など多くの困難をかかえていること, (2)発展途上国が保有する資源の開発,生産,流通の全分野を少数の巨大外資系多国籍企業が支配しており,その保有する資源をみずからのイニシアチブで経済開発に活用できず,資源の現地加工度も低かったこと, (3)資源の価格および輸出が不安定であったため,資源保有国がみずからの開発資金や輸入代金に充用する輸出所得も少く不安定であったことなどがある。
石油輸出国機構(OPEC)
石油産出国の利益を守るため、イラン、イラク、クウェート、サウジアラビア、ベネズエラの5カ国の原加盟で1960年9月14日に設立された産油国の組織。本部はオーストリアのウィーン。1959年2月、石油を寡占していた国際石油資本(メジャー)が、産油国の了承なしに原油公示価格の引き下げを発表。これに強い不満を抱いた産油国はアラブ連盟第1回アラブ石油会議をカイロにて開催。国際石油資本に対して、原油価格改訂時の事前通告を要求するが受け入れられず。1960年9月14日、中東を中心とした産油国はイラクの呼びかけに応じて設立された。
新国際経済秩序(NIEO)
発展途上国の経済発展や利益を重視した、国際経済の新しいあり方。1970年代前半、資源ナショナリズムの高まりを背景に、発展途上国が団結して、それまでの先進工業国中心の国際経済システムの変革を求め、不平等や不正義、経済格差を失くした新しい国際経済秩序の樹立を主張した。
資源ナショナリズムと資源カルテル
「新国際経済秩序樹立に関する宣言」は,1974年の国連資源特別総会(第6回国連特別総会)において採択されたもので,この宣言には,[1]いかなる国も自国の天然資源を保護するために国有化や所有権をその国民に移転する権利をもつこと,[2]天然資源の効果的な管理や自国の状況にふさわしい手段により開発を行う権利をもつことといった資源の恒久主権の原則がうたわれている。事実,1970年代に入って以降,石油,ボーキサイト,銅などの重要資源について,その生産に携わる多国籍企業への“事業参加”あるいは“国有化”が世界的にひろがった。しかし,開発途上国が価格の決定権を握るためには,国有化だけでは十分でなく,天然資源生産国間の約束がなければ不可能であった。ここに,石油にならって,ボーキサイト,水銀,鉄鉱石などの生産国・輸出国同盟が形成されたのである。現在設立されている主要な生産国・輸出国同盟としてはOPEC(1960設立)のほかに,OAPEC(1968),CIPEC(銅輸出国政府間協議会,1968),ANRPC(天然ゴム生産国連合,1970),IBA(ボーキサイト生産国機構,1974),UPEB(バナナ輸出国機構,1974),IGMPC(水銀生産国グループ,1974),SEALPA(東南アジア木材産出業者協会,1974),AIOEC(鉄鉱石輸出国連合,1975)などがある。現在,長年にわたる植民地主義,強大な経済力,先進的な技術を背景に,開発途上国の資源を収奪し,成長と繁栄を誇ってきた先進工業国の経済的基盤は,資源ナショナリズムの高まりのなかで根底からゆるぎはじめている。