ベトナム戦争55
出典: Jinkawiki
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1.ベトナム戦争の原因
第二次世界大戦以前のベトナムはフランス領インドシナ連邦としてフランスの植民地となっていました。しかし、ヨーロッパで第二次世界大戦が勃発するとドイツの快進撃もあり1940年6月にはフランスは降伏。日本軍がフランス領インドシナ連邦に進駐することになります。しかしその日本が最終的には敗北。その日本の敗北をうけ1945年9月、北部にホー・チ・ミン率いるベトナム独立同盟がベトナム民主共和国を樹立し独立することを宣言します。この独立を認めたくないのは、勝戦国の中でも特にフランスです理由としてもともとはフランスの植民地であったからです。フランスは南部に傀儡政権を建国し、そしてホーチミンの北ベトナムと争うことになるのです。(第一次インドシナ戦争)
2.ベトナム分断
この戦いは8年続きましたがフランスの敗北に終わります。そして、1954年7月にジュネーブ協定により北緯17度線を境にしてベトナムは分断されることになるのでした。南ベトナムにはアメリカを後ろ盾としたゴ・ディン・ディエムという人物が大統領となり国名をベトナム共和国とします。ところがこのベトナム共和国(南)では政権内部は汚職まみれであり、政策も国民の大多数を占める農民の支持を得られるようなものではなかったので国民が不満を抱いていきます。
3.ベトナム統一を試みて内戦へ
ベトナム共和国に対して北ベトナムは、武力による統一を試み南ベトナム開放民族戦線(ベトコン)を結成し内戦が始まることになります。1961年。この状態を見たアメリカの大統領ジョン・F・ケネディは南ベトナムに4000名の特殊部隊を派遣することを決意します。北ベトナムにはソ連が後ろ盾となっており、その北ベトナムが勝利してしまうとベトナムどころかドミノ倒しのように東南アジアが次々と共産化してしまう恐れがあるというのがアメリカの介入理由でした。当時は、ソ連とアメリカを中心とした共産主義と資本主義との間で冷戦の最中であったためソ連が支援する北ベトナムには勝ってほしくなかったからです。しかし、まだこの時点では、アメリカは南ベトナムを支援をするという程度。アメリカ軍が本格的に戦争に参加していたわけではなかったのです。
4.内戦激化
1964年のトンキン湾事件を機にアメリカは直接介入していくことになります。このトンキン湾事件とはアメリカの軍艦が北ベトナムの警備艇に攻撃を受けたとする事件です。しかし、北ベトナム側ではアメリカが先に攻撃したと反論。アメリカとしては軍事介入するいいきっかけができました。1965年にアメリカは南ベトナムに軍隊を派遣し、北ベトナムに大規模な爆撃を行います。この爆撃のことを北爆っていいアメリカは北ベトナムに255万トンもの爆弾を落としています。アメリカからのものすごい攻撃を受けた北ベトナムでしたが、めげるようなことはありませんでした。それどころかジャングルでのゲリラ戦を巧みに戦いアメリカ軍を撃破していきます。
5.ベトナム内戦終結へ
結局、このベトナム戦争はソ連などの社会主義陣営がベトナムを支援し続けたこと。アメリカ軍は最大時には54万もの兵力を投入するが、ジャングル内では物資や食料の供給が困難であった為、実際に最前線で戦ったのは3割ほどだったということ。また、アメリカ本国にてベトナム反戦運動が起きたことなどが原因となり北ベトナムは大国アメリカに勝利することになります。ベトナムからアメリカが兵を引き上げてからは南ベトナムは抵抗のしようもなく1975年4月30日。南ベトナムの大統領官邸は南ベトナム開放民族戦線によって占領され10年続いたベトナム戦争は終わりを告げました。
参考文献
http://www12.plala.or.jp/rekisi/betonamusennsou.html
http://www.y-history.net/appendix/wh1603-064.html