岐陽高校体罰生徒死亡事件

出典: Jinkawiki

2009年1月29日 (木) 23:42 の版; 最新版を表示
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1.事実の概要

 昭和60年5月7日から三泊四日の日程で行われた、岐阜県立岐陽高校2年生の研修旅行中に起きた事件。裁判所の認定事実によれば、事件の様相は次のようである。  同校教員Aは旅行開始直後の所持品検査で自分の担任するクラスの生徒Kが、学校側から携行を厳禁されていたヘアーアイロンを持参しているのを発見し、取り上げ、翌々日の九日朝にも、同じく担任クラスの生徒Hが自室でヘアードライヤーを使用しているのを目撃し、これも取り上げた。同日の朝食後、Aが教員使用の自室に戻ったところ、これまた担任クラスの生徒Tが、ヘアードライヤーを持参していたことを生徒指導担任Bに見つかり、同室に正座させられていた。AとBは相談の上、KとHも同室に呼び出して3人を同時に説諭することにした。Bは新たに呼び出された2人も正座させ、H、K、Tの順に厳しく説諭し、平手で3人の頭部を数回殴打し、さらに前頭部を一回ずつ小突いた。そしてAに対して、その前任校を引き合いに出し、生徒指導について暗になじるような言葉をはいた。Aは、こうしたBの言動から3人に対して指導しなければ示しがつかないという追い詰めれられた気持ちになり、また事前の再三の指導にもかかわらず、自分の担任のクラスの生徒ばかりがヘアードライヤーを持参したことで3人に対して無念さと腹立たしさが募り、憤激のあまりKに対して、その頭部を手拳と平手で一回ずつ殴打し、さらに右肩付近を二回足蹴りし後ろに転倒させるなどの体罰を加えた。続いて今度はTに対して、正座しているその前にしゃがんで、「先生たちは2、3時間しか寝ずに一生懸命やっているのに、どうしてお前たちきちんとやれないのだ。」と叱責した。Tは黙って下を向いたままで何の返事もしないため反省の気持ちがないと考え、さらに強い調子で「何でこんなもの持ってきた」と尋ねたが、Tは相変わらず返事をしなかった。情けない気持ちと腹立たしい思いに駆られたAは憤激のあまり、立ち上がりざま右の平手でTの頭部を一回殴打し、次に立った状態で右手拳で左側頭部を二回くらい振り落として殴打し、さらに右足で右肩付近を2,3回蹴り付け、その衝撃で左横に倒れたTの右側頭部を右足で、2回くらい踏みつけた。Tが「ごめんなさい、ごめんなさい」と繰り返し謝っているのにも耳を貸さず、Aはさらに、起き上がって座りなおそうとしたTの右肩付近を右足で2回くらい蹴りつけて後頭部を後方の壁にぶつけさせ、再び座りなおして頭を下にたらしていたTの正面からその腹部を右足で一回蹴り上げた。Tはこの二時間余り後の午前10時10分頃、病院で急性循環不全により死亡した。Aは逮捕され、傷害致死罪で起訴された(Bは暴行容疑で書類送検されたが、不起訴処分となった)岐阜教委はAを懲戒免職処分にした(Bは停職2ヶ月)。

2.判決の要旨

 裁判所は傷害致死罪を適用して、Aに懲役3年の実刑判決を言い渡した。その理由は次のようなことである。  教員Aは、校則に違反してヘアードライヤーを使用した、その担任するクラスの生徒Tに暴行を加えて死亡させた。Aの行為とTの死亡との因果関係は明白である。  暴行の発端はTの校則違反にあるとしても、Tは相当程度の判断能力を備える高校生であること、教師対生徒という十分な説得可能な関係にあったことなどに照らし合わせて考えると、Aは相応の説諭、指導で対処すべきであった。ところがAはこのような手だてを講じないばかりか、Tがなんら逆らうことなく正座し、途中から謝罪しているにもかかわらず、暴行を加えた。こうしてAの態様は、Tの校則違反の程度と比べても、熾烈極まる。Aの行為は、校則違反がいずれも自分の担任クラスの生徒であったことの無念さや、同輩教師Bからの生徒指導について暗になじられてことなどに誘発された私的感情によるものである。Aが当初は教育的意図を持っていたとしても、Aの行為は教育的懲戒とは無縁のものと言わざるを得ない。生徒Tの若い命が、他ならぬ信頼する担任教師によって失わしめられたという結果はきわめて重大である。一人息子を瞬時に失った遺族も深い悲しみとAに対して厳罰を求める気持ちには無理からぬものがある。加えて、本件の与えた社会的影響は大きい。こうして点を考えると、Aの責任はまことに重い。Aの行為は普段から体罰がある程度容認されていた岐陽高校内の風潮などにあおられた側面のあること、Aは平生は体罰を加えることは全くなかったこと、すでに懲戒免職処分を受けていることなど、Aの側にも情状酌量の余地が認められない。しかし、犯行の態様、結果重大性などに照らすと、Aに対して3年の懲役という実刑を科すのもやむを得ない。

考察

 たとえ教師としての立場として教育上の必要性から指導措置となされたものであったとしても、また子供に対する愛情・しつけの意味合いを込めたものであったとしても、体罰という違法性が免ぜられることは決してないと感じる。それに今回のように教育的意図や愛情を見失った私的な感情の赴くままによる体罰行為は無論のこと簡単に許されるべきものではない。判例においても教師の行為が体罰であるか否かはその態様によって判断され、その動機や意図は無関係である、と判例は判断している。                                 

参考引用:『教育判例読本』教育開発研究所      http://www.geocities.jp/kyouiku_hiroba/01/taibatsu-jirei-1980.html


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