ラトケ
出典: Jinkawiki
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理念
ラトケ(ドイツ1571-1635)は、大学で神学や哲学を学び、卒業後イギリスに遊学して、ルネッサンス期のイギリスの哲学者であるベーコンの影響を受けて,言語中心ではなく,事物中心の教育を行うことを主張した。著作として『建白書(1612)(言語教授法の改革による言語、政治、宗教における帝国の統一、学校及び教科書印刷所の設置)、『一般言語教授法序説(1615)(すべては自然の秩序と過程に従って教える。)があげられる。ラトケは、ベーコンの思想的影響(人間の経験,五感を通じての経験に信頼を置き、元々持っている経験や偏見というものを取り去り,対象をありのままに見つめて,経験から正しい知識を得ることができると主張した。経験への信頼を重視するベーコンは,経験から自然の法則的な知識を見つけ出し,その知識を使って自然を支配していくことを追求したのである。法則的な知識を知り,法則的な知識を使って自然を支配していくというベーコンの考え方は,「知は力なり」という彼の言葉に象徴されている。)を受け,事物を観察して事物についての知識を感覚を通じて習得していくことを重視した。帰国後、彼は新しい教授法を工夫し、学校を経営して教育改革に情熱を燃やした。だが、彼の教育計画は金がかかりすぎたり、具体的な面での理論の不十分さなどから失敗に終わり、かれは不遇のうちに亡くなった。しかし、彼の提唱した教育改革計画や教授法は、大変斬新なものであった。以下で彼の教育改革計画を紹介する。 第一は、学級制度を確立した民衆のための公立学校を作ることを主張した。学級を作って学級ごとに教育をするという形態と、民衆のための公立学校の設置を提案したのである。 第二は、上記のような学校で、新しい教授法(いわゆるラトケ教授術)によって教育を行うことを提案した。彼は、この教授法を自らの学校経営を通じて案出した。 第三は、教育のために必要な新しい教科書と教師用参考書を編集・出版することを提案している。
ラトケ教授術
彼の価値は「ラトケ教授術」と呼ばれる教授法を創案したところにあるといえる。その諸原則を以下で例示する。
①すべてを自然の秩序または順序によって教えるべきで、簡単なものより複雑なものへ、下等なものより高等なものへ進まなければならない。 ②一時には一事を教えよ。一度教えたものは再三繰り返さなければならない。 ③すべてはまず自国語で教えよ。 ④暗鬼を強いてはならない。強制的な教授は避けなければならない。 ⑤最初に事物そのものを示し、その後に事物に関する知識を授けるがよい。すべては観察と実験に基づいてなされなければならない。 ⑥温和な方法を持って教授し、強制的な教授や体罰は避けなければならない。 ⑦一学科にひとりの教師を置くのがよい ⑧生徒はすべて教師に正面して着座させるべきである。 ⑨男児の教育には男教師があたるのがよく、女児の教育には女教師があたるのがよい。
直感や経験、実験を重視した教授法を説いており、今日では当たり前のように思える教授法であるが、当時としては大変新鮮な考え方であった。しかし、当時としては理想的にすぎ、実際は、このような教授法はあまり採用されなかった。
実学主義
彼はチェコスロバキアの教育者であるコメニウス(1592-1670)と共に、感覚的な「実学主義」の立場にたった。→キケロ主義(言語主義、審美的教養主義)を批判し、科学主義・合理主義の立場を継承・発展させ、実生活に役立つ教育内容を実生活の経験に基づく方法で教える。日本でいうと福沢諭吉の思想にその典型が見られる。
参考:『西洋教育思想』晃洋書房 http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%BC%C2%B3%D8%BC%E7%B5%C1&kind=jn&mode=0&base=1&row=0 http://www.page.sannet.ne.jp/takefumi-y/kyosai/kyosyoku/SeiyoKyoikusiKodai.htm