大化改新
出典: Jinkawiki
大化の改新とは
645年(大化元)年6月の蘇我氏打倒にはじまる孝徳天皇のときに行われた一連の政治改革。氏姓制度の弊を取り除き、唐の律令制を、基に天皇中心の中央集権国家建設を目標とした。中大兄皇子・中臣鎌足が中心となる。
改革内容
・新政府は、中央豪族の有力者を左大臣・右大臣にするとともに、中臣鎌足が内臣(うちつおみ)、唐から帰国した僧旻・高向玄理(たかむこのげんり)が政治顧問としての国博士となり、中大兄皇子をたすけて政策の立案にあたった。この年に中国にならってはじめての年号をたてて大化(たいか)として、都を難波(なにわ)に移した。
・新政府は、646(大化2)年正月に、4カ条からなる改新の詔を発した。
改新の詔
(1)皇族や豪族が個別に土地・人民を支配する体制をやめて国家の所有として(公地公民制)、豪族にはかわりに食封(じきふ)などを支給する。(上級の役人には食封が、下級の役人には布帛(ふはく)があたえられた。食封とは一定数 の戸(封戸)を指定して、そこからの租税の大部分を与える制度のこと。)
(2)地方の行政区画を定め、中央集権的な政治の体制をつくる。
(3)戸籍・計帳をつくり、班田収授法(はんでんしゅうじゅのほう)を行う。(6年毎に戸籍をつくり、班田収授法を行うというのちの令の制度が、このときから行われたかどうかは疑わしい。
(4)あたらしい統一的な税制を施行する