草双紙
出典: Jinkawiki
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草双紙(くさぞうし)とは江戸時代の小説の一ジャンル。江戸特有の挿絵入り仮名書き小説で、寛文(かんぶん)末年(17世紀後半)ごろに刊行され始めた幼童向けの絵本である赤本を初めとして、黒本、青本、黄表紙、合巻(ごうかん)という順序で展開し、明治10年代(1877~86)まで出版され続けた絵双紙の総称。江戸時代のもっとも通俗的な小説の一つで、「草」は似て非なるもの、本格的でないものというほどの意を表す卑称である。判型の多くは中本型(四六判。縦約18センチメートル、横13センチメートル)で、1冊5丁(10ページ)よりなり、1~3冊からなるが、合巻には100冊に及ぶ大部なものも数多い。赤本、青本、黄表紙などの呼び名は表紙の色によるもので、合巻はそれらが長編化し、数冊が合綴(がってつ)されるようになったがための呼び名であったが、またそれらはそれぞれに独自の内容的特徴をもっていたので、今日ではそれらの文芸のもつ特質をもその名でよんでいる。
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種類
赤本
赤本は最初期の草双紙で、享保の頃が全盛期。1662年(寛文2)ごろ発生した幼童向けの絵本である。素朴な絵と簡単な書き入れとからなり、表紙は丹色で絵題簽を張り、判型は四六判と赤小本とよばれる小型のものがあったが、出版の商業化とともに四六判に統一され、以後この判型が草双紙のみならず、近代の小説本の大きさの原型となった。よく知られた前代からのおとぎ話(桃太郎、舌切り雀、さるかに合戦など)や怪異譚を内容とし、叙述はきわめて簡潔なもので教育的な要素が強く、正月の贈答品にもなっていた。おおむね鳥居清満、近藤清春など画工により作られた。しだいに歌舞伎や浄瑠璃の素材を題材とするようになって複雑化するとともに、大人の、とくに青少年向けの読み物へと脱皮していった。
黒本
表紙の色から黒本という。敵討ちなどの忠義や武勇伝、浄瑠璃・歌舞伎、謡曲、仮名双紙、軍記物、お伽双紙、浮世双紙など多様な内容になってきた。およそ創作性が加わった。作者と画工を兼ねる場合が多い。同一内容が赤本、黒本の2種として同時刊行されさえした。青本と前後して流行するが、体裁が野暮ったいとして早くすたれた。永享年間から刊行され、半紙半截5丁、まれに6丁を1冊とし、2、3冊で1部とした。青年男女を読者とし、内容も赤本より高まり、安永4年以降もわずかに刊行された。
青本
黄色(もえぎ色)の表紙(黄色を青と称した)で、少年や女性向けに芝居の筋書きなどを書いたもの。おとぎ話、歌舞伎・浄瑠璃物、歴史物などがある。黒本と前後して流行し、内容も似たようなものであるが、明和・安永の初めが全盛期で、しだいに男女の恋愛や遊里なども取上げられるようになった。 (大人向けの黄表紙というジャンルが生まれるが、同時代にはまとめて「青本」と呼ばれていた)
黄表紙
安永4年に刊行された恋川春町の『金々先生栄花夢』が黄表紙の代表作であり、のちにはこれ以降の草双紙を黄表紙として青本と区別するようになった。フキダシの様なものが描かれるなど現代の漫画に通じる表現技法を持つ。漉返半紙または上半紙半截二つ折本、1冊5枚の形式、これが2冊または3冊で1部をなす。研究者によっては安永4年から文化3年刊行のものをいう。 大人向けの娯楽性が強い本。筋書き以上に、言葉や絵の端々に仕組まれた遊びの要素を読み解くことに楽しみがあった。表紙の色は黄色で当時は青本と区別されていなかった。1775年(安永4)恋川春町が『金々先生栄花夢』を自画作で発表し、草双紙の世界は大転換期を迎える。この作は、そのころの江戸で成人の読み物としてもてはやされていた洒落本の世界の絵解き、戯画化ともいうべきもので、精緻な現実描写、知的で滑稽洒脱な視点と筆致が注目される。ちょうどこのころ、表紙も退色しやすい萌黄色から、値段も安く色もあせない黄色に変わって定着し、ここに黄表紙の誕生となった。以後黄表紙は、自由主義的な田沼時代を背景に、春町、朋誠堂喜三二らの武家作者や山東京伝、芝全交らの町人作者、北尾重政、鳥居清長、喜多川歌麿ら当代第一級の浮世絵師を中核とし、安永末年から天明年間(1780年代)にかけて、狂歌壇を中心とする天明文壇の隆盛とともに全盛期を招来し、軽妙な風刺性、奇想天外なパロディー(戯画化)を駆使した、内容よりもその表現に意義を認めざるをえない独特の文学形態を生み出した。フキダシの様なものが描かれるなど現代の漫画に通じる表現技法を持つ。
合巻
長編化し、それまで五丁で一冊に綴じていたものを十丁ないし十五丁単位で一冊に綴じたもの(この形式を明瞭にとったのは、文化3年の式亭三馬の『雷太郎強欲悪物語』からである。三馬は合巻形式の発案者であるという)。絵入りだが、内容も比較的読本に近い。草双紙と言えば合巻のことを指すこともある。柳亭種彦の『偐紫田舎源氏』などが代表作である。しかし天保の改革の影響により華美な装丁が禁じられ、いったんは衰退する。しかしこの改革によって好色画・好色本が禁圧され人情本が衰退すると、人情本の読者が合巻に流れて刊行点数が増大した。また改革の影響で既存の版元の枠組みが崩れたことにより、新興の版元が多くの合巻を出版するようになった。 明治に入ると合巻の作者は執筆の場を新聞の連載小説に移し、新たな読者層を獲得した。長編の伝奇ものが流行した。また活版印刷の導入によって絵に対して文章の比重が高まったほか発行部数の増大などの変化があった。
参考文献
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8D%89%E5%8F%8C%E7%B4%99#.E9.9D.92.E6.9C.AC 『詳説 日本史』山川出版社