荘園

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2009年1月27日 (火) 17:03 の版; 最新版を表示
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荘園

平安時代より室町時代にかけての貴族・寺院の私的な領有地のことをいう。奈良時代に墾田などを起原として出現したが、平安時代には地方貴族の寄進による立荘が盛んとなり、全国的に拡大、不輸不入権も認められるに至った。鎌倉幕府の守護地頭制によって漸次武家に侵略され、南北朝の動乱以後、急速に衰退に向かい、豊臣秀吉のとき、太閤検地によって最終的に廃止された。

荘園制の本質は、権力者による指摘土地所有者である。天皇家及び外戚(準天皇家)藤原氏のほか権門による家産(一家の財産)形成である。もちろん律令的な秩序は浸透し、それに依拠する利権の構造もあったから、家産化はやみくもにはできない。

普通、教科書・辞書では荘園の成立について「寄進(社寺などに金銭・物品を寄与すること)地系荘園」なる概念で説明する。在地領主がその所領を寄進することによって成立すると説明しているが、誤解を与えやすい言葉・概念・説明である。寄進は自らの所有するものしか対象にならない。それ以外のもの、他人の所有物・権益を寄進することはできない。在地領主がわずかな土地(荒野・開発地)を寄進すると、さらに上級領主が拡大された寄進を繰り返したと考えられるが、全てが自身の所有物ではあるまい。「寄進」を口実にして広域の私領化が可能となっていたのは、一種のからくりだが、王朝国家による何らかの手続きがとられたはずである。このとき、加納・新庄(本免以外に耕作した土地)という形がとられることが多かった。例えば、筑前国粥田荘は本庄の八倍もの面積の加納(新庄)があった。

天皇領は、普通は院御願時などの寺院領の形をとるか、女院領として史料にあらわれる。天皇家が信仰する寺に自身の所領を寄進した。御厨・御牧などの直接の私領を拡大する方法もとられた。律令制も列島全体から貢納物を送る仕組みであったが、荘園制では荘園領主が必要とする貢納物が、律令の仕組みを通さずに、京都に搬入される仕組みをつくった。


広辞苑 服部英雄著 『武士と荘園支配』 山川出版社 2004年発行  

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