飛鳥寺

出典: Jinkawiki

2009年1月29日 (木) 19:13 の版; 最新版を表示
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飛鳥寺

奈良県高市郡明日香村にある寺院のことをいう。蘇我氏の氏寺で、日本最古の本格的寺院でもある法興寺の後身である。


《創設》


現在の飛鳥寺の前身である法興寺は、蘇我氏の氏寺として6世紀末から7世紀初頭にかけて造営されたもので、明日香村豊浦の豊浦寺(現在の向原寺がその後身)と並び、日本最古の本格的仏教寺院である。 飛鳥時代は、飛鳥寺(法興寺)の創設によって始まったといえる。588年に造られたとされる。その前年、「排仏派」物部守屋との権力争いに勝利した領袖蘇我馬子が、戦いに臨んで戦勝祈願した「造寺」を、実行したものである。蘇我氏の本拠地に造営されたこの飛鳥寺は、蘇我氏の氏寺という意味だけでなく、わが国最初の本格的な伽藍寺院として、文化的にも歴史的にも大きな画期をつくりだした。

飛鳥寺の造営経緯については、『日本書紀』、『元興寺縁起』などから、比較的詳しく知ることが出来る。 538年 仏教公伝 588年 百済から派遣された僧侶や寺工・瓦博士などの技術者たちの援助をうけ、飛鳥真神原にあった家を壊して、造営が開始された。 596年 「寺の造作がほぼ終了し、寺司と僧二人が寺に住み始めた」と『書記』にある。


《異なる二説》


『日本書紀』によると、法興寺は用明天皇2年(587年)に蘇我馬子が建立を発願したものである。馬子は排仏派の物部守屋との戦いに際し、この戦いに勝利したら仏寺を建立することを誓い、無事に勝利したので、飛鳥の真神原の地に寺を建てることにしたという。 一方、天平19年(747年)成立の『元興寺縁起』には、発願の年は『書紀』と同じながら、内容の異なる記載がある。『縁起』によると、丁未年(587年)、「百済の客」が、当時の日本には尼寺しかなかったので、法師寺を作るべきであることを上申し、用明天皇が後の推古天皇と聖徳太子に命じて寺を建てるべき土地を検討させたという。


参考文献

黒崎直著 『飛鳥の宮と寺』 山川出版社 2007年発行 岡本東三著 『古代寺院の成立と展開』 山川出版社 2002年発行 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


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