イスラム教徒

出典: Jinkawiki

2009年6月25日 (木) 13:38 の版; 最新版を表示
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目次

イスラム教徒

イスラム教(イスラーム)を信仰・実践する人々のこと。イスラム教徒のことを「ムスリム」という。意味は「神に帰依した人々」。イスラーム教徒と呼ばれる人は、現在、全世界に10億人以上いると言われており、その数は今なお更に増加し続けているという。そして、この21世紀において、現代社会の堕落と混迷から人々を救ってくれる宗教は、唯一イスラームであるとさえ言われているのだ。



イスラームの成り立ち

イスラームは預言者ムハンマドが610年頃、アラビア半島のメッカで起こした宗教である。ムハンマドという人は、当時、国際貿易都市として繁栄していたメッカの商人で、人々から「正直者のムハンマド」と呼ばれる無学で平凡なごく普通のアラブ人であったという。その彼が40才の頃、メッカ郊外にあるヒーラ山の上で不思議な霊的体験をした。大天使ジブリール(旧約聖書ではガブリエル)を通じて、神・アッラーから突然の啓示(いわゆる神のお告げ)があったのだ。ムハンマドは何が起こったのか良く理解できず、自宅に戻ると妻に助けを求め、外套に身を包んでブルブル震えていたという。ムハンマドが、自分が神の使徒、即ち預言者であることを受け入れるまでには更に数年を要したが、その後、彼はアッラーの預言者であることを自ら認識し、イスラームを広めるために立ち上がった。アッラーは、ムハンマドが神からの啓示を受けるずっと以前から、アラビア半島の遊牧民達に知られる存在で、特にカーバ神殿のあるメッカの人達からは、神殿に祭られていた多くの神の中の至上神として崇められていた。つまりは、既に述べたように、「アッラー」とはアラビア語で「神」のことを意味し、多神教徒であったイスラーム以前のアラブ人にとっての最高の神であった訳である。

ムハンマドがイスラームの布教を始めたのは、イエスが死んでから約600年後のことで、同じ一神教であるユダヤ教やキリスト教がその発祥地であるパレスチナからアラビア半島にも浸透しはじめていた。そうした土壌が既に形成されてはいたものの、ムハンマドがアッラー以外の如何なる神も認めず、この唯一絶対の主に服従、帰依せよという教えは、当時まだ多神教を信仰していたメッカの指導者達の強い反発を招くこととなる。ムハンマドは身の危険を感じ、622年、メッカの北500キロにあるメディナに移る。このメディナ移住のことをヒジュラ(聖遷)と言い、イスラーム暦の紀元元年となっている。メディナでウンマ(イスラーム共同体)を作り上げた後、ヒジュラから8年目の630年にメッカへの無血入城を果たす。その時、彼は徒歩でカーバ神殿を7周し、そこにあったたくさんの神々の偶像を全て打ち壊したという。そして、その2年後に没している。

その後、ムハンマドの後継者は「カリフ」と呼ばれる人達に受け繋がれ、アラビア半島を統一したあと、シリア、イラク、更にはトルコ、イラン、エジプトにまで軍を進めた。戦いはいずれも連戦連勝で、ムハンマドが没した約20年後の651年には、それまで強大な力を持っていたササン朝ペルシャまで滅ぼしてしまう。こうして実に短期間のうちにイスラーム帝国(サラセン帝国とも言う)と呼ばれる広大なイスラーム教徒の国家が出現することとなる。征服した土地での政策は、必ずしもイスラームへの改宗を強制せず、一定の税金を支払えば宗教的な自由と、生命、財産を保護するという比較的寛容なものであった。また、従来よりも住民の税負担を軽くしたり、特にユダヤ教徒やキリスト教徒をイスラームと同じ「聖典の民」として寛大に扱ったりしたが、そうした寛容な政策が僅かな期間で勢力を各地に拡大し、一大帝国を築き上げることのできた理由の一つであると考えられている。

いわゆるイスラーム帝国が最も興隆期に達したのはウマイヤ朝に変わって成立した「アッパース朝」の8世紀中頃から9世紀にかけての時代である。その首都であったバクダ―ドは、ヨーロッパ諸国やインド、中国などとの国際貿易により繁栄を極めた。丁度その頃の中国は、シルクロードによる東西交易が最も盛んだった唐の時代に当たる。なお、イスラーム帝国の最後は、13世紀末に起こり、一時は(16世紀頃が最盛期)北アフリカからコーカサスに至るまで領土を広げ、1922年に滅亡したオスマン・トルコ帝国である



イスラム教徒の義務

ムスリム、つまりイスラム教徒には「六信五行」という義務がある。

「六信」とはムスリムが信じなければならない六つのこと。「神」「天使」「啓典(※)」「預言者」「来世」「天命」この六つがある。このうち、特にイスラム教の根本的な教義に関わるものが神(アッラー)と、使徒(ルスル)である。ムスリムは、アッラーが唯一の神であることと、その招命を受けて預言者となったムハンマドが真正なる神の使徒であることを固く信じる。イスラム教に入信し、ムスリムになろうとする者は、証人の前で「神のほかに神はなし」「ムハンマドは神の使徒なり」の2句からなる信仰告白を行うこととされている。

(※)啓典:コーランのこと。イスラーム教の聖典である。科学的にみればムハンマドの著作であり、伝統的なイスラームの信仰ではイスラーム教の開祖であるムハンマドに対して神(アッラー)が下した啓示であるとされている。ムハンマドの死後にまとめられた現在の形は全てで114章からなる。

「五行」は、ムスリムが行わなければならない五つのこと。「信仰告白」「礼拝」「断食」「喜捨」「巡礼」の五つである。「信仰告白」というのは、「アラーの他に神なし。ムハンマドはその使徒なり。」と唱えることだ。声に出さなければダメ。この「信仰告白」というのは、次の「礼拝」と一緒におこなわれる。正式には一日五回、メッカの方向を向いておこなう。ムハンマドはイスラムの教義を作り上げていくときに礼拝の方向を決めた。はじめはイェルサレムに向かってとか、いろいろ試行錯誤するのだが、最終的にはメッカのカーバ神殿に向かって礼拝することに決めた。世界中のムスリムが礼拝の時間にはメッカのカーバ神殿に向かって拝む。次に「断食」。一年に一ヶ月断食月がある。ラマダーンと呼ばれる月だ。これは、まったく何も食べないのではない。日の出から日没まで、太陽の出ている時間帯に食べ物を口にしない、というものである。日が沈んだら、食べてもよい。「喜捨」とは、貧しいものに財産をわけあたえることだ。イスラムは商人の倫理が根っこにあるから、まともな取引で儲けることはいいことなのだが、儲けっぱなしで、財産をため込むことを卑しいこととする。儲けたなら、それを貧しいものに施すことを勧める。「巡礼」は、メッカに巡礼することだ。一年に一回巡礼月があって世界中からイスラム教徒がメッカに集まってくる。現在メッカはサウジアラビアにあるので、サウジ政府は巡礼者の受け入れに非常に気を配っている。また、それがサウジ政府の威信を高めることにもなっているようだ。メッカに巡礼するということは、交通の不便だった昔はなかなかできることではなかった。一生に一度はメッカ巡礼を果たすことがイスラム教徒の悲願だった。だから、今でも巡礼をした人は「ハッジ」と呼ばれ、地域の人々から尊敬をされる。



イスラム教徒の食事

一日3食で、国や地域により食生活の傾向が変わる。

イスラム歴の9月の1ケ月間は、ラマダーンと呼ばれ、日没から日の出までの間に一日分の食事を摂り、日の出から日没までは食事を摂らない。喫煙・性的な営みも禁止され、期間中は夜明け前と夜の2回の食事になる。ラマダーンの間の食事は普段よりも水分を多くした大麦粥であったり、ヤギのミルクを飲んだりする。 断食を始めるのは6歳頃からで、体調のすぐれない者や短期旅行中などはしなくてよいらしい。 食事の前と後には祈りの言葉を唱える。 相手に料理を渡す場合、給仕する場合は右手を使用し、左手は使用してはいけない。 豚・アルコール・血液・宗教者のお祈りと処断されてない肉・うなぎ・イカ・タコ・貝類・漬物などの発酵食品はNGとなる。豚に関しては見ることも嫌う人がいる。 ブイヨン・ゼラチン・肉エキスやラード等は豚が使われているので注意。 豚肉を使用しなくても、豚を連想させるような食材は避け、テーブルにワイングラス等アルコールを連想させるものも避け、カクテルパーティへの参加を避ける人もいる。 血液は不浄なもののため、肉類や魚類は焼き具合にも気をつける。 豚肉を食べない代わりに、牛肉・鶏肉・羊肉を食べ、魚も食べる。生は食べないが。。うなぎ・イカ・タコ・貝類・漬物などの発酵食品は宗教上禁じられているわけではないが使用は避けた方がいい。ウロコのある魚とエビは食べられる。 イスラム教で適切な処理を施した食材をハラルミールといい、扱うお店は厳密な規定がある。



イスラム教徒の結婚

ムスリムにとって結婚は重要な問題だ。聖法シャリーアにはマンドゥーブ(実行することが望ましいこと)として結婚が挙げられている。男性はユダヤ教徒、キリスト教徒との結婚も許されるが、女性はムスリム以外とは許されない。社会的な契約という側面が強く、両親や親族の間で諸条件が決定される。それに反した場合の離婚は当然で、社会的にも容認されている。ムスリムになると4人の妻が持てるのかについて、確かにコーランには妻を4人まで持つことができる、とは書いてある。しかし残念ながら実際には1人の妻の人が圧倒的に多くて、複数というのは少ない。現在ではそれは非常に稀である。経済的なことも含めて、一人の男性が4人の女性を全員平等に扱うなんてことは人間には不可能なことだ。また、ムスリムの好色がその源になっているという説は完全な誤解である。

また、現代では増えつつあるが、恋愛結婚はめずらしい。幼少時から男女は隔離されている上に、結婚は親族の話し合いで決定されることが原則だからだ。血縁が濃いことが喜ばれるので、いとこ婚が多い。地域によっては、女性は父方のいとこから結婚を求められたら、特別な理由がない限り断ることができないという習慣が定着しているところもあるようだ。これはあくまで地域の習慣であってイスラームの教えではないのだが…。 婚約が成立してからようやく2人の交際が許されるというのがエジプト、アラブの交際の仕方である。だから、『結婚を考えずにただ付き合う』という現代日本や欧米のような付き合い方はエジプトでは基本的にはない。本当に相手のことを愛しているのであれば、一度は必ずプロポーズされる。そして彼の家族にも紹介される。

ムスリムと結婚するということは日本人と結婚するということとまったく全然別の次元のものである。わたしたちが日本で常識だ、当たり前だ、と思っていることは当たり前ではない。エジプトやその他のアラブ諸国では通用しない。いくら「日本ではこうだ、先進国ではこれが当たり前なんだ」と言ったところで「ここはエジプトだ」と言われることだろう。イスラム教国では妻はすべての手続き、事柄において夫の許可(署名)が必要になってくるので、当然、妻の自由は制限される。


日本人一般の考え方とイスラームの共通点

A:清潔 日本人は古くから清潔の民と自ら称して、それを誇りとしていた。日本には山にも野にもきれいな水が豊富に湧き流れ、その上気候も四季平均して温和であったため、日本人は自然と清潔の民となったのである。他方、イスラーム諸国は概して地勢は殺風景で、山にも樹木が茂らず、水も流れない不毛の砂漠の地が多い。しかしかえってそのために不潔にならぬよう意識的に礼拝前には必ず沐浴し、また大小便の後には小浄して常に身の清潔の維持に努めている。(注、清い流水のない場合は清浄な砂で代用する。)これは日本人が神社に参拝して社前に額づく前に必ず口をすすぎ手を洗うのと一脈共通したものがある。

B:信義 日本人は総じて信義を尊重する民族である。一旦約束したことは必ず実行する。約束を反故にすることは日本人の恥とするところである。イスラームの人たちもまたそうである。約束を破棄するようなことは聖クルアーンで固く禁じられている。約束を一旦したからには必ずそれを実行に移すのが建前である。これがイスラームの本領とするところで、こうした点もまた我々本人と共通した点である。

C:礼節 また、礼節をわきまえていることも彼らお互いに相似している。日本人も昔から礼儀と節操を重視し、それらを守らない人は他から相手にされなかった。一方イスラーム側はどうであったか。かれらの日常生活の指針と規範を聖クルアーンはその啓示によって教え諭し、例えば知人をその家庭に訪問する際のマナー、あるいは外出して道路を歩く場合の注意ごとに到るまで細部にわたって礼儀作法を説いている。室内に入るときも階段を上がるときも必ず年長者を先にする。また、衣類の袖に手を通すときも右手から、座位から立ち上がって一歩踏み出すときも右足からである。

D:救済と喜捨 日本人は、貧しい者、弱い者、そして恵まれない人たちを救い助け、施しをすることを古来美徳としてきたが、イスラームはこの点我々日本人よりむしろ積極的であり、実践的である。なぜそうなのか。それは聖クルアーンの中の啓示の随所に慈悲と救済の精神を強調し、その実行を積極的に勧めているからである。ムスリムとしての勤めの基本である五本の柱の中に「喜捨」がうたわれている。これをイスラームではザカートと称して必須の徳目となっているのを見ても、一目瞭然である。

E:尚武 日本民族は古くから勇武の民族である。第二次世界大戦後、平和憲法の宣布によって、それ以前の軍国主義は徹底的に排除され抹殺されて、今日では下手するとあらぬ誤解を招き、とかく物議をかもす恐れがあるので、あまり勇ましいことや形式ばったことは表面に出さないようになった。しかしここで一つ注意しておかなければならないことは、真の勇気とは、暴力的ないし侵略的、脅迫的なバーバリズム式の猛勇ではないと言うことである。それはあくまでも正義と天地の公道を守るための真の勇敢さである。イスラーム諸民族も古来幾多の興亡があったが、みなイスラーム精神を順奉して勇敢であり、特にイスラーム黎明期の約百年はその最たるものがあった。それがゆえに、短い歳月の間にアラブを中心とした半月形の地域に新興イスラームの偉大なる教えが急速に伝導されたのである。これがもし蛮勇によるものであれば、また領土的野心や物質的欲望のみによるものであれば、今日見るようにイスラームは盛大な世界の三大宗教として十億のムスリムを帰依せしめるまで大発展はしなかったであろう。  




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