武士
出典: Jinkawiki
武士とは
武士(ぶし、もののふ)は、10世紀から19世紀にかけての日本に存在した。 戦士を本分とするとされた宗家の主人を頂点とした家族共同体の成員のことをいう。
古代末に発生した武士は、その武力で古代を終焉させ、中世社会で主導的役割を果たし、近世で完成された社会体制を築き上げたとされている。 武士の概念は時代により微妙に変化していて、一言で表すことは難しいが、どの時代でも共通しているのは、武装した私兵集団の構成員だというところである。 ただし、武装した私兵集団が全て武士であるとは言えないのも事実である。 公的な軍事警察力の担い手としての社会的な公認がなければ、武士として認められなかった。
兵の語がきわめて実態的な用語であったのに比べ、武士の語は法的意味合いも強かった。 在庁官人制の成立にともない留守所体制が整備・充実し、国衙軍制の再編・強化がなされる過程で、兵を武士と認定したともいえる。したがって、国衙との関係において兵は武士と呼ばれたわけで、両者はその実態に差があるわけではない。ただ、武士と呼ばれた段階の兵は、多く国衙内部で有力在庁層を形成、「住人」=在地領主として基盤をかためていた。
中世武士の服装
中世武士の服装は朝廷の儀礼に上級武士が参列する様になると、その最も地位の高い服装が束帯(そくたい)となる。 もっとも束帯を着用する状況、着用が許される者の範囲は極めて狭く、武士の公服として、貴族の私的な装いであった狩衣(かりぎぬ)が着用される様になる。 この狩衣の簡略化した服装としては下級武官が着用した褐衣(かちえ)が存在したが、武家に取り入れられたのは平民が着用していた同じく狩衣の簡略版である水干(すいかん)であった。やがてこの水干も武家の正式な装いとして着用され始める。 この一方で平民の服として着用されていた垂領(たれくび。現在の和服の様な襟の事。)の直垂(ひたたれ)が武家の平時の服として用いられる様になる。この直垂も初めは庶民も着用する活動的な衣服であったが、時代の経過と共に水干の様な装飾が施され、儀礼化して行き、室町時代には武家の正式な服装としての地位を得るまでになる。ここにおいて武家の服装は、盤領(あげくび。大陸風の丸くび。)の公家的服装から脱するのである。
参考文献
武士の誕生 関幸彦 著
中世武士の服装(http://members3.jcom.home.ne.jp/pehota02/equipment/clothes/bukesdress01.html)