孫文
出典: Jinkawiki
孫文はマカオ近くの貧農に生まれたが、ハワイで成功した兄をたよってハワイに渡り勉強、その後香港の医学校を出て医者となった。
しかし同時に革命運動に奔走し、1894年革命組織「興中会」をおこした。1905年には他の革命組織と連合して「中国同盟会」を組織し、総理に就任した。
満州族支配の打倒と近代的共和制の国づくりをめざし、あわせて大土地所有を抑える政策をうち出した。これらは民族・民権・民主主義(三民主義)と称された。
孫文を支援する日本人も多く、その代表が宮崎滔天(とうてん)である。 中国同盟会機関紙「民法」の創刊号に、孫文は三民主義をのせた。
参考文献
『最新世界史図説 タペストリー』帝国書院