ソ連のアフガン侵攻
出典: Jinkawiki
ソ連のアフガン侵攻
ソ連のアフガン侵攻により民族はゲリラ化。アメリカの支援で独立はしたものの、民族間の対立は根深くソ連撤退後は内戦に。
概要
1979年、アフガニスタンで共産勢力のクーデターが成立すると、共産主義を守るという名目で、ソ連がアフガニスタン侵攻を開始した。 これに抵抗するイスラム勢力は、みずからを「ムジャヒディン(聖戦士)」とよびゲリラ戦を展開。 この抵抗運動は「ジハード」として、アラブ諸国をはじめ30カ国から志願兵が参戦した。 当時、ソ連と冷戦状態にあったアメリカのレーガン政権は、ムジャヒディンを支持。隣国パキスタンを介し、スティンガーミサイルなどの武器を含め35億ドルの軍事支援を行う。 以後10年にわたる戦争で、この地は荒廃の一途をたどっていく。
発端
西に中東、東にアジア、北にはロシアという複雑な地理にあるアフガニスタンは、イスラム教徒が大半を占め、古くから王制を敷いてきた。 だが、国内にはパシュトゥーン人、タジク人、ハザラ人、ウズベク人など、さまざまな民族が混在し、民族間での争いは絶えることがなかった。 20世紀に入ると、保護国イギリスとの3度の戦争を経て独立をはたすが、権力争いは止まなかった。 王制を廃した1973年には、共和制に移行。東西冷戦下で中立を保とうとするが、共産主義勢力による軍事クーデターが発生した。 強引な政策転換は国内のイスラム、反共産主義勢力の反発を招き内戦に突入、ソ連に介入の口実を与えた。