教育評価
出典: Jinkawiki
教育評価とは
教育評価とは教育活動の中でどのような学びがなされたのか、どのような育ちが実現したのかを確かめることであり、またその結果を教育的に活用することである。別の言い方をすれば、教育における教育活動とは学びと育ちの状況を見てとり何らかの基準でそれを判断し次のステップに向けてそれを生かすことである。教育評価というとテストや通知表などが頭に浮かぶ。このような評価は誰にとってもいやなことである。テストされたり通知表をもらう方だけでなく、テストしたり通知表を書く教師にとってもけっして楽しいことではない。しかも評価することによって教育的に困る副作用が生じてくることも多い。成績や得点によって自信を失ったり劣等感をもったりする子どももでてくるし、逆に変な優越感をもって努力しなくなる子どももでてくる。周囲からの目も「できる子」や「できない子」などといったレッテルを貼り付けてしまうことも少なくない。このため、その子の持ち味、その子らしさ、その子特有の可能性といった大事な点が親や教師、そして子ども自身にも見えなくなってしまいがちであるのが現状である。
評価の意義
学習者にとって評価はどのような意味でとらえられているのかについて。ここでは「学習のペースメーカーになる」、「自己認識の機会となる」、「価値の方向に気づく」の3点をとらえる。 学習のペースメーカーになるとは外的な評価に合わせる形で学習を行うことができることである。1回ごとに完結するような学習であるなら、その時間が充実しているというだけで十分である。しかし多くの学習は長い年月にわたっての積み重ねを必要とする。前にやったことが分かっていなくては次の学習が十分にできない。だからこそ学習をやりっぱなしにするのではなく、どこかできちんと復習して身につける努力をしなくてはならない。その機会となっているのが、現実にはテストや成績付けなどの評価活動なのである。 自己認識の機会となるとは、外側からの評価によって自分自身の姿に気づくということである。つまり外側からテストされ成績をつけられることによって自分というものがいろいろな形で見えてくるということである。これは教育評価が学習者に対してもつ自己認識への働きである。外的な評価が自己認識のきっかけになる、あるいは自己認識の中身を与えてくれるのである。良いところだけの人はいないし悪いところだけの人もいない。しかし自分の中の良しあしの両方のバランスがよく見えることはなかなか難しいことである。だからこそ外側から自分についての多様な情報をフィードバックしてもらう必要がある。この意味でテストや成績付けが自分自身を見つめなおすための外的情報として役に立つという点を見落とすことはできない。評価によって外の世界からの目や期待水準に気付かされるのである。 価値の方向に気づくとは外側からの評価に接していくことによって、自分に期待されている価値の方向性に気づくということである。例えば何かのテストを受ける。何点取れるかということもさることながらどのような問題が出題されどのような配点がなされているかでその教科の学習に関してその先生が何をどの程度に重視しているか伝わってくるようになる。これによって学習すべき内容や程度そこでのものの考え方など先生の期待が分かってくる。このような評価の機能は、教師の教える活動の一環として位置づけられるものであり、教育目標に関するコミュニケーション機能として重要な意味を持つのである。