化粧
出典: Jinkawiki
化粧の起源
化粧の起源には4つの説がある。①自然界からの防御、②共同体の規則、③身分の象徴、④呪術の4つである。
例えば、古代エジプトの女性たちのアイメイクは、タール(強い日差しの反射をやわらげ、また虫除けにもなる)や孔雀石(目薬となるもの)などを使い自然界から目を防御して使用していたものである。
しかし、古代エジプトの女性たちのアイメイクは、女性たちの髪や服、肌、全てにおいてバランスがよく美しいという一石二鳥なものであったことや、権力のある者がメイキャップやボディペインティングや特別な髪型をしたり、成人式を迎えると、お歯黒をしたり、入れ墨をしたり、歯を抜いたり削ったりという行為が受け継がれることがあった。
また、日本では、赤色は強大なパワーがあると考えられていたため、開口部に赤色を塗る化粧をしていた。これは、口や目などの開口部から邪悪な霊や魔力が入り、そこから病気になってしまうという呪術の考え方からなっている。
化粧の起源には以上のような説がある。
歴史
歴史というのは、政治・経済史や文化・文学史などによって時代区分が異なることがある。化粧の歴史でもそれが言える。
①化粧の起源―②縄文時代~古墳時代―③奈良時代~平安時代初期。この先、平安時代中期~戦国時代の間は女性と男性の時代区分が変わってくる。
女性は、④平安時代中期~平安時代後期―⑤鎌倉時代~戦国時代。
男性は、④平安時代中期―⑤平安時代後期~鎌倉時代―⑥南北朝時代~戦国時代。
ここから、もう一度、男性と女性の時代区分が同じになる。
⑦桃山時代~江戸時代初期―⑧江戸時代中期―⑨江戸時代後期~幕末―⑩明治時代―⑪大正時代~太平洋戦争前の昭和―⑫太平洋戦争中―⑬太平洋戦争後。
この13の時代区分に分けることができる。
②の時代では、上記で例に出した口や目などの開口部を赤く塗る化粧が行われていた。また、男女ともに長い髪を結い上げ櫛などの髪飾りで止めたり、顔や身体に入れ墨やボディペインティングで模様を描いたりなどの化粧をしていた。
③の奈良時代からは、赤化粧ではなく白粉が普及し始めた。しかし、白粉を塗ったあとに紅粉を顔全体にたっぷりと塗っていたので実際は赤い顔であった。また、この時代では蛾眉という眉尻がとても太く尻上がりの眉が流行っていた。もうひとつの違いは、現代では細い女性が美しいとされているが、当時はふくよかな女性が美女とされ、顔は下膨れであごは二重三重であった。
④、この時代は菅原道真によって遣唐使が廃止され中国からの文化の流れがストップする。そして、日本独自の文化「国風文化」が熟成する。服装は十二単となり、ヘアスタイルは長い髪を下ろして髪飾りもないスタイル(垂髪)になった。化粧は白化粧になり、剃ったり、抜いたりした眉の代わりに円または楕円の眉を墨で書くような化粧であった。ほかにも、お歯黒をしたり、口に少量の紅をさしたりしていた。男性は、この時代衣冠束帯という平安貴族スタイルになり、平安後期には、貴族の男性も女性と同じような化粧をするようになった。また、当時は舎人まで、白粉を使うようにまでなっていたという。
⑦、この時代では戦乱が激しく続いていたにもかかわらず、いつ死んでしまうかわからないという状況のなかで、命ある時間を楽しむという享楽的な生活文化が盛んとなった。垂髪であった髪が遊女から結い上げるスタイルが流行した。髪を結うことで、髪飾りをつけることができ、この時代では櫛や簪、元結などの髪飾りが発達した。また、戦のときに大名などの身分の高い武士は死に顔が美しいようにと化粧をして兜に香を焚き染めたという。
⑧、江戸時代中期になり、「元禄時代」になると、化粧も大衆化した。江戸などの都会の人々は化粧品を買ったり、化粧道具を手に入れたりするようになり、スキンケアまで含まれた化粧のガイドブックなどが発行われるようになる。江戸時代の流行の発信地は、遊郭や芝居小屋、大奥であった。
⑩、この時代以降からは欧米からの文化が流行になることがあった。例えば、ショートカットである。それまでは、女性は長い髪を美しいとしていました。しかし、「ボブ」という髪型が第二次世界大戦中のパリで流行し、日本では、この髪型にし、流行最先端の服装をしている女性たちのことを「モダンガール(略してモガ)」と呼ばれるようになる。
そして、現代のような化粧品が日本の世の中に流出するようになった最大のきっかけは、アメリカの映画のスクリーンに登場する女優たちであった。現代でももちろん有名なハリウッドは、パウダーファンデーションやリキッドファンデーション、黒や青のアイシャドー、アイライナー、マスカラ、口紅など現在、私たちが普段使っているような化粧品はハリウッドから生まれた製品であった。ハリウッドの女優に憧れ、アメリカの生活文化や化粧法が世界中に普及していった。現代では、このハリウッドから生まれた製品がとても普及し、少し前であるとヤマンバメイクなど肌を黒く焼いたり、黒いファンデーションを塗ったり(ガングロ)して目の周りが白い10代の若い女の子がする化粧が流行ったり、鈴木その子といった「美しさには白い肌が絶対不可欠」という信念を持った女性がテレビや雑誌に登場し、そしてガングロから美白へと流行が少しずつ変化していった。また、現代はナチュラルメイクというすっぴん(化粧をしていない顔)のように見える化粧法まで出ている。
参考文献
・石田 かおり,2000,化粧せずには生きられない人間の歴史,講談社現代新書 ・三田村 蕗子,2005,夢と欲望のコスメ戦争,新潮新書
MUM