フレネ教育5

出典: Jinkawiki

2011年2月26日 (土) 10:39 の版; 最新版を表示
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フレネ教育とは,セレスタン・フレネ(Celestin Freinet,1896-1966)の教育理念に基づいた教育実践であり,児童中心主義教育の一つである。「子どもの生活、興味、自由な表現」から出発し、印刷機や様々な道具、手仕事を導入して芸術的表現、知的学習、個別教育、協同学習、協同的人格の育成を図る教育法である。


目次

セレスタン・フレネ

フランスの教育者。 フレネはフランスにおける学校印刷機,現代学校運動の創始者として広く知られている。彼は師範学校在学中に召集され,第一次大戦に従軍した際にドイツ軍の毒ガスを吸ってしまったため肺機能障害を患ってしまった。そのため、フレネが1920年に大戦から帰還したときには大きな声を出すことができなくなっていた。それは,当時の教師の資質としては致命的であった。落ち着きのない子どもたちを叱ったり統制するためには教師の大声が不可欠と考えられていたからである。しかし,このように2)子どもたちを大声で威圧できなかったことがフレネ教育技術の出発点となった。 フレネは、伝統的な教師の権威、理念を絶対的なものとする権威主義的な教育方法に異議を申し立て、学校教育に子どもたちの手になる校内新聞や学校間での通信などの印刷物を取り込み、自発的なグループ活動を通して子どもたちの人間性を養うことを目的とした「積極方式」と呼ばれるスタイルを生み出し、教育界に多大な改革をもたらした。


フレネ教育の内容

【自由作文】 天下り的テキストの押し付けを排除し、子どもに表現を返すところからフレネ教育はスタートする。 自分の生活を素材とした作文や自由研究の発表と討論など行う。

【学校印刷所】 子どもたちが自分の声で語ったことは共同批正を経て印刷される。 印刷物をテキストとして使用する。

【学校間通信】 表現とコミュニケーションの組み合わせにより、学校生活と日常生活との結合を確かなものとする。 個々の表現、マイペースの学習は、互いのコミュニケーションのなかで位置付けられ、鍛えられる。 他地域とのコミュニケーションで共同研究が展開していく。

【学習の個別化】 基礎・基本を獲得していくための学習は、個々のレベルに合わせた課題を個々のリズムで考えていく。 そのためには、各教科の学習カードや教材ソフト、資料、道具類が手の届くところになければならない。 教室はそのことにより、子ども達ひとりひとりがマイペースで活動する仕事場(アトリエ)となります。

【学習プラン】 毎週の時間割を自分で作り、達成状況も自分でチェックします。何をするかわかっているので、教師の指示待ちをする必要がない。

【実験的模索】 なにかを指示されたり伝達されるのではなく、なぜそうなるのかを子どもたち自身で模索していく。 解決に至る過程と理解度が問われます。

【学級共同組合】 いきなり大人に頼ることなく、自分で学習を組織する子ども達は、互いの空間を自治の原則で組織していく。


フレネ教育の特徴

1.異年齢の子どもが学び合う

南フランスのヴァンスにあるフレネ学校では、年齢で分けられているのではなく、約60人の生徒のうち、3~5歳、6~7歳が中心のクラス、8~11歳までの3クラス。 少人数で、異年齢が学びあうクラスでは、年長の子どもがちいさな子どもに気を配る光景が見られるなど、互いを思いやる気持ちが自然と育まれる。

2.3歳から文章で表現

フレネ教育の大きな柱は「作文」と「印刷」である。子どもが日常生活のなかで発見し、表現したいと思ったことを文章にしていく。子どもたちは3歳から文章を書くが、はじめは先生が手助けし、取り組む。自分で書いたものが印刷され、他人に読まれるのは嬉しいから、自分の思いをきちんと表現しようという意欲が沸いてくる。

3.活動計画表にそって学習する

子どもたちは,自由作文や詩の朗読、文法の説明のとき以外は、自分で決めた活動計画表にそって自分のペースで学習する。分からないことがあれば,先生に質問して個別でじっくり学ぶというスタイル。毎日、学校での仕事が目標通りに進んだかどうか、計画表のマス目を進んだ分だけペンで塗りつぶしていくことによって自分の学習を管理する。そして2週間ごとに、子ども自身がみんなの前で自己評価を示し、みんなで話し合って最終の評価を決める。

4.意見交換

フレネ学校の子どもはお互いの考えを話し合うという習慣があり、対話の名人と呼ばれる。毎日の「朝の会」「帰りの会」「コンフェランス」(親子の研究発表会)、協同組合の集会(学級・全校集会)では、意見交換をよくしている。 クラスには言いたいことを自由に書き込める壁新聞があり、そこでの「称賛する」「批判する」「実行した」「希望する」の欄に書かれたことが話し合いのテーマになる。議長は子どもで、先生も参加する。

5.尊重しプライドを傷つけない

フレネ学校の先生は、「子ども一人ひとりを尊重すること」、「子どもの情熱、子どもの中にある欲求を最高の段階まで導くこと」、「子どもに失敗を恐れさせないこと」を大切にしている。みんなの前で詩を読むとき、子どもは「自分が覚えたものをみんなが聞いてくれる」という誇らしい気持ちを持っている。それを聞いて、子どもたちは率直に発言し、批判もする。それは、一人ひとりの存在が認められ、お互いのよさを認め合う関係ができている証である。


フレネ教育の拡大

同じ時期にヨーロッパでは、ロシア革命への恐怖を煽りつつファシズムが台頭しつつあった。極右勢力の策謀で、フレネの実践が標的とされ、学校騒動が仕組まれる。その結果下された「病気休職」「配置転換」という懲罰的な処分をフレネは拒否して退職。1935年、実験学校を設立した。

このフレネ学校が、その当時すでにヨーロッパ各地に拡大していたフレネ教育運動の拠点となり、内戦下のスペインから避難してきたこどもたちや教師も迎えた。 第二次世界大戦が始まった翌年、フレネは逮捕され強制収容所に送られ、フレネ学校も閉鎖された。18か月の拘留を解かれたフレネは、対独地下抵抗組織マキ団に身を投じレジスタンス活動を続けた。このようなフレネの試みは、彼なき後も「現代学校運動」として発展を続けており、フランスの公立学校では約1割の教員が実践、スペイン、ドイツ、ブラジルなど世界29カ国以上へも広がっている。

日本では、1983年に宮ヶ谷徳三氏や若狭蔵之助氏らが中心になって「フレネ教育研究会」が設立され、フレネ教育の研究と研修を行なっている。一部の公立や私立の学校のクラスでは、ふだんの授業の中に「自由作文」や「手仕事」などのフレネの学校技術を取り入れた実践が行なわれている。けやきの森学園(埼玉県狭山市)、ジャパンフレネ(東京都新宿区)、箕面こどもの森学園(大阪府箕面市)など、フレネ教育を取り入れた個人立やNPO法人立の幼稚園、学校もある。


参考文献

エリーズ・フレネ 著 名和道子 訳 「フレネ教育の誕生」1985年 現代書館 佐藤広和 著 「フレネ教育 生活表現と個性化教育」 1995年 青木書店


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