ジャスミン革命
出典: Jinkawiki
2011年1月、北アフリカのイスラム国チュニジアで起こった民衆蜂起による革命。国を代表する花の名から「ジャスミン革命」と呼ばれる。政変のきっかけは、10年12月17日、中部の都市シディブジドの路上で野菜を売っていた青年(モハメド・ブアジジ)が当局の度重なる摘発に抗議し、焼身自殺した事件。これが経済的困苦にあえぐ人々の共感を呼び、シディブジドの民衆数千人による抗議デモへとつながった。やがて抗議の矛先は長期独裁を続けてきたベンアリ政権の腐敗体質や人権抑圧に向かい、体制打破のデモとなって各地へ拡大。それまで秘密警察の監視や強硬な取り締まり によって反体制の動きを抑えてきた当局も、若者を中心としたフェイスブックやツイッターによる情報交換を封じることはできず、特定の政治・宗教団体によらない、指導者不在の草の根レジスタンスとしてチュニジア全土へ広がっていったのである。11年1月14日、数千人の民衆に内務省を包囲されたベンアリ大統領は、全閣僚の更迭と選挙の実施を発表して、国民の懐柔を図ったが、混乱は収まらず、同日夕刻サウジアラビアに出国。23年間続いた独裁政権に終止符が打たれた。翌日、ガンヌーシ首相が暫定内閣を組閣。当初は前政権の閣僚を主要ポストに置いたが、国民の反発を招いたため、与党・立憲民主連合(RCD)に所属する閣僚を全員更迭。さらに亡命したベンアリ元大統領と親族を、不正蓄財の容疑で国際手配した。
アラブ諸国には、チュニジアだけでなく、エジプト、リビア、シリア、イエメンなど、長期独裁を続けている強権国家が少なくない。その後、ジャスミン革命のうねりは、民主化のドミノ現象として、こうした国々に波及し、翌2月イエメンではサレハ大統領が国民の抗議デモを受けて、次期大統領選に出馬しないことを発表、エジプトでもムバラク大統領が任期末の退陣を表明している。