近代化理論2
出典: Jinkawiki
日本の近代化
明治維新以降の文明開化により、日本にとっての国家目標は欧米先進国の文物や制度を導入し、独立を保ちながらも条約改正の努力をおこない、国際的地位の上昇をはかりつつ不平等条約を改正していくことを目指した。
開国直後の江戸時代末期に幕府や雄藩が近代化の取り組みを始め、明治政府の主導により「上からの近代化」が推し進められた。官営工場を建設し、江戸時代から継続する三井・三菱・住友などの商業資本を土台にしつつ、日清戦争期に軽工業を、日露戦争期に重化学工業を発達させた。
非ヨーロッパ国として憲法を制定し、日露戦争に勝利したことで、列強の一つ(五大国)と呼ばれるようになった。しかし、原料の補給と商品の販売は植民地に依存せざるを得ず、第二次世界大戦終結までアジアへの進出が行なわれた。
第二次世界大戦によりいったんは日本の工業は壊滅状態に陥ったが、敗戦後の1946年から1951年の間に、アメリカの「占領地域救済政府資金」 (GARIOA) と「占領地域経済復興資金」 (EROA) から約50億ドルのODAが援助された。このときはカナダ、メキシコ、チリ、ブラジル、アルゼンチン、ペルーなどからも生活物資や食料などが援助されている。朝鮮戦争の軍需により復興の糸口を掴み、1953年には、世界銀行から多国間援助である有償資金を使用して東海道新幹線、東名高速道路などを建設開始し、高度経済成長を実現した。1968年にはアメリカに次ぐ経済大国となり、先進国入りを果たした。