民族衣装

出典: Jinkawiki

2012年8月10日 (金) 08:47 の版; 最新版を表示
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目次

民族服

(みんぞくふく)は、ある地方や民族特有の衣服。言語・宗教・歴史など、自然や文化・伝統を共有する人間集団に固有の服で、民族衣装ともいう。関連する呼称として、国家が国民に着用を推奨(または強制)する国民服、都会から離れた地域の衣装として民俗服・郷土服・地方服といわれるものもある。


概要

民族服は都会的な流行服と対になる概念として使われる。流行服は都会の上流階級の間で発達してきたが、民族服は流行に左右されにくい山村の庶民の間でとくに見られる。民族服はそれぞれに独自の形・デザイン・文様をもち、それを表現するために染織技術を発達させてきた。民族服は各地で暮らす人々の文化の多様性を視覚的に表現する文化的財産の一つといえる。

その一方で、現在民族服や民族衣装と認識されている衣服の内には、19世紀以降に国民国家の形成、あるいは民族主義の高まりのなかで形が整えられ、規格化されたものも少なくない。

21世紀現在、世界的に洋服が主流となってきているが、普段洋服を着用する人々の間でも、伝統行事に民族服を着用する場合もある。また、国によって伝統衣装の着用が国民に義務付けられているブータンなど、今日でも民族服を身に纏って生活している地域もある。


おおまかなアジアの民族衣装

日本ー和服

朝鮮半島ー韓服

中国ー漢服

東南アジアーアオザイ

インドーチョリ、ガーグラ、サリー 


それぞれの起源

和服  日本書紀が書かれるずっと以前から、盛んに行われた朝鮮半島や中国大陸との交易、繰り返されたであろう外来人の移住が、独自のファッションを展開させ和服ができた。

韓服  北方アジアの騎馬民族が着ていた、胡服の流れを汲んでいると言われ、それに中国など外国の影響が加わって成立した衣服である。モンゴル帝国の支配下に入ると上流階級はモンゴルの文化を受け容れ、韓服もその影響を受けた。

漢服  古代の三皇五帝の時期には、人々は鳥獣の毛皮をもって衣とし、その後麻を用いて布を作った。後に、黄帝の正妃・嫘祖が、桑を植えて蚕を育て、人々に布を織って衣を作ることを教えた。それゆえ、黄帝の時代に服飾制度が次第に形成され、夏・商の後、冠服制度が次第に確立された。そして、西周時期に、周礼制度が形成され、衣冠制度に対して明確な規定がなされ、冠服制度が次第に礼治の範囲内に組み込まれていき、礼儀文化を表現する方式の一つとなった。漢服は、ここに至って日に日に完成していったのである。

アオザイ  18世紀に清朝から移入されたチャイナドレス(旗袍)を起源とする。 旗袍は冷涼な気候の満州起源の装束であり、本来は厚地の絹を使うが、ベトナム土着の薄絹(庶民は麻など)のゆったりした長衣の影響を受けて、風土に合った薄い布地で仕立てるようになった。

サリー  起源を辿ると古代インドの宗教観へと繋がっている。数千年の昔、宗教上の理由から布を裁断縫製することを忌んだ僧侶達が、織ったままの一枚布を巻きつけて着ることを考え出したのだ、という説がある。

参考文献

ウィキペディアhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%91%E6%97%8F%E6%9C%8D


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