キルケゴール2
出典: Jinkawiki
キルケゴール(Soren Aabye Kierkegaard 1813~1855)はデンマークの思想家で、実存主義の先駆者。主著は『あれか、これか』『反復』『哲学的断片』『不安の概念』『死にいたる病』。
人物
コペンハーゲンで裕福な商人の家に生まれ、感受性に鋭く、孤独がちの子であった。彼の父は、キルケゴールを聖職者にしようとコペンハーゲン大学で神学を学ばせた。 22歳のとき、キルケゴールは北シェランを旅行し、ギレライエで実存にめざめた。その頃、信頼していた父が貧しかった少年時代にあまりの寒さと空腹に耐えかねて、そのような運命を与えた神を呪ったという事実を知り、また、父が罪を犯して母と結ばれたのではないかという疑いを持ち、「大地震」と呼ぶ自己嫌悪と絶望に陥った。その後しばらく、享楽的な生活に溺れたが、レギー・オルセンと出会い、27歳のとき婚約した。 しかし、自己の罪深さへの反省や、彼女への愛が真実のものであり得るのかという内面的な苦悩から、翌年、一方的に婚約を破棄した。この体験は大きな苦悩となったが、それが同時に彼を哲学的な思索や著述活動へと駆り立てた。大衆的な週刊の風刺新聞『コルサール』の中傷を受け、また、デンマーク国教会の偽善性を厳しく糾弾して、論争を展開した。1855年、教会と激しい論戦の中で心身ともに消耗し、路上で意識を失って倒れ42歳で死去した。 キルケゴールは、ヘーゲルの客観的・抽象的な哲学体系を批判し、今、ここに生きている実存としての自己が、その全存在を賭けて明らかにするべき主体的真理を主張した。そして、大衆の欺瞞性に埋もれた現代人を批判し、自己のあり方をみずから選ぶ真の主体としての実存を求めた。彼は自己を存在させる根拠である神に、ただ一人で向き合って生きることを決断する単独者に、真の実存のあり方を見出した。
主体的真理
キルケゴールは、迷いや挫折といった人生の課題を思索し、信仰への飛躍による絶望の克服を説いた。彼は、自己を「自分自身に関係する関係」ととらえ、「何ものでもない」自分に自分が「いかにかかわるか」、その関係に示されている自己のあり方を実存とよんだ。そして、ふつうの人が「どこにでもある何か」のように「何ものか」を装い、生きる情熱を失って自分の傍観者になっているとして、鋭く批判した。 その自己喪失は精神の滅びであり絶望である。絶望は、生死をかけて克服すべき「死にいたる病」であるとした。キルケゴールは、『いま、ここに生きる。このわたしが、「それのために生き、そして死にたいと願うような理念」こそが真理である』と主張し、いつ、どこででも万人に通用するような客観的真理ではなく、各人が自己の主体的真理に目覚めることを求めたのである。
実存の三段階
キルケゴールは。人間が自己の本来的なあり方に目覚めていく過程を、実存の三段階として示している。 第一段階は、「あれも、これも」と快楽を追及する美的実存であるが、欲望や享楽の奴隷となり、自己を見失って倦怠におちいる。 第二段階は、「あれか、これか」の決断によって享楽を捨て、自己の良心に従って人間の義務を果たそうとする倫理的実存である。義務を果たしきれない有限さのまえに挫折する。この絶望を克服するには、「恐れとおののき」のなかで倫理的なものを停止し、信仰へと飛躍しなければならない。 第三段階の宗教的実存は、だれにも理解されない孤独の淵で、ただ一人神のまえにたつ単独者として、神の声に従う。その時の実存は、絶望からの救済を得て、かけがえなく例外的な存在である本来的自己を回復する、と説くのである。
参考文献
倫理用語集 改訂版」山川出版社
キルケゴール‐哲学入門 http://www.philosophy.nobody.jp/contemporary/phanomenologie/kierkegaard.html
投稿者 YH