狂言
出典: Jinkawiki
狂言とは
狂言は日本の古典芸能であり、主として科(しぐさ)と白(せりふ)によって表現される喜劇である。室町初期、狂言は能とほぼ同じ頃に発生し、密接な関係を保ってきたので、能と狂言を一括して「能楽」とよぶ。この対照的な二つの演劇はセットで演じられることが多く、幽玄の世界から笑いの世界へと観客の心をリラックスさせてくれる。登場人物は能と違い貴族や歴史上の人物ではなく、底抜けに明るい太郎冠者を主とした親しみやすいキャラクターで、当時を描いた笑いには現代に通じるものがある。その頃の日常的な話し言葉を使っていて内容もわかりやすく、能と共に歩んだ長い歴史のなかで洗練された「笑いの芸術」と言われている。本狂言の他に、能の間で解説的な役割をする間狂言や、祝言の式で演じられる「三番三(三番叟)」など特殊なものもある。
狂言の歴史
奈良時代に中国から渡来した「散楽」の諸芸のうち、滑稽物真似の芸態の伝統を受けるものと考えられる。散楽が日本化して平安時代に「猿楽」となり鎌倉時代を通して悲劇的な歌舞劇である「能」と、猿楽本来の笑いの要素を含むせりふ劇である「狂言」とに分化した。そうして能との組合せによって発展し、中世庶民の間に滑稽・物真似の笑いをまき散らし、冗談や洒落を本位とすることなどにより笑いの度合いを次第に高め、洗練された芸能になった。 室町時代の後期に大蔵流・和泉流・鷺流が成立し、幕府直属に大蔵流・鷺流、尾張徳川藩と宮中に和泉流が勤め、江戸の混乱期を経て鷺流は廃絶する。その後大正・昭和と時代の荒波をくぐりぬけ、現在は和泉流、大蔵流の二流が活動している。
狂言の芸の種類
狂言方の演ずる芸は、三番叟および風流、間狂言、本狂言の3つに分けられる。
①三番叟および風流は、能楽の儀式芸である『翁』のなかで狂言方が担当する演技である。三番叟は、シテ方が勤める翁が退場したあと、五穀豊穣を祈って1人で演ずる舞で、前半の素面で勇壮に舞う「揉の段」と後半の黒式尉の面をつけ鈴を持って軽快に舞う「鈴の段」とに分かれている。風流は、華美に着飾った多数の役者が登場するめでたい内容をもつ単純な劇である。
②間狂言は、能のなかの一役として狂言方が受け持つ演技をいい、その役はアイと略称される。シテの中入の間に一曲の主題や内容などを平易に説明する語リ間、能の諸役と共演するアシライ間、狂言方が2人以上出て寸劇を演ずる劇間に大別される。概して身分の低い役であるが、能一曲の雰囲気を左右することもあり、軽視できない。
③本狂言は独立した筋をもつ演劇で、ただ「狂言」というときには本狂言をさす場合が多い。主役をシテ、脇役をアドといい、和泉流ではアド1人以外を一括して小アドと称している。また参詣人や花見客など同性格の数人いっしょに登場する者を立衆、その統率者を立頭とよぶ。現行曲(流儀が公認しているレパートリー)は大蔵流180番(ただし茂山千五郎家・山本東次郎家は各200番)、和泉流254番、共通の曲が191番で、両流あわせて263番の曲がある。通常2~4人で演じ、大勢物(おおぜいもの)といわれる数人の曲は約40番あるが、十数人を要するものは『唐相撲』『太鼓負』『老武者』などごくまれである。上演時間はほとんどが20~40分で、1時間を超すのは『花子』『釣狐』などにすぎない。本狂言は、世阿弥のころすでに能と能との間に勤めるのを原則とし、以後今日に至っているが、能と狂言という対照的な性格をもつ芸能を交互に演ずるのは、外国にも例をみない巧みな上演の知恵といえよう。もっとも、狂言だけを並べる「狂言尽くし」も安土桃山時代から行われ、近年はとくに盛んである。
引用参考