ノート:第二次世界大戦2
出典: Jinkawiki
第二次世界大戦
1939年から1945年の6年にかけ、ドイツ、日本、イタリアの三国同盟を中心とする枢軸国陣営と、イギリス連邦、フランス、ソビエト連邦、アメリカ、中華民国などの連合国陣営との間で戦われた全世界的規模の戦争。1939年9月のドイツ軍によるポーランド侵攻と続くソ連軍による侵攻、仏英による対独宣戦布告とともにヨーロッパ戦争として始まり、1941年12月の日本と米英との開戦によって、戦火は文字通り全世界に拡大し、人類史上最大の戦争となった。
概要
1939年9月1日、ドイツ軍がポーランドへ侵攻したことが第二次世界大戦の始まりとされている。1939年8月23日に秘密条項を持った独ソ不可侵条約が締結され、同年9月1日早朝 (CEST) 、ドイツ軍がポーランドへ侵攻し、9月3日にイギリス・フランスがドイツに宣戦布告。9月17日にはソ連軍が東からポーランドへ侵攻し、ポーランドは独ソ両国により独ソ不可侵条約に基づいて分割・占領された。さらにソ連はバルト三国及びフィンランドに領土的野心を示し、11月30日からフィンランドへ侵攻して冬戦争を起こし、この侵略行為を非難され国際連盟から除名されながらも[1]1940年3月にはフィンランドから領土を割譲させた。ソ連はまず軍隊をバルト三国に駐留させ、1940年6月には40万以上の大軍で侵攻。8月にはバルト三国を併合した。
ドイツも1940年にノルウェー、ベネルクス、フランス等を次々と攻略し、ダンケルクの戦いで連合国をヨーロッパ大陸から追い出したほか、イタリアおよび日本と日独伊三国軍事同盟を結成した。1941年にはドイツ軍はソビエト連邦に侵攻。1941年12月8日(日本時間)には日本がマレー作戦と真珠湾攻撃を行ってアメリカ・イギリスに宣戦布告し、これを受けてオランダは日本に宣戦布告した。日本は連戦連勝を続け、1942年にセイロン沖海戦やアメリカ本土空襲、オーストラリア空襲を行うなどその勢力を拡大した。しかし1943年にはドイツがスターリングラード攻防戦、北アフリカ戦線で敗北し、同年枢軸国は北アフリカを放棄しイタリアが降伏する。アジア太平洋戦線では1942年6月5日ミッドウェー海戦で敗北した後も日本が優勢を保ったものの、補給線が国力を超えて伸びきった事などから1943年後半には連合国が優勢になった。1944年には連合国がノルマンディー上陸作戦を成功させるほか、マリアナ沖海戦やインパール作戦に勝利するなど勢いが更に増し、枢軸国は次々と降伏。1945年にドイツ軍は総崩れとなり、追い込まれたヒトラーは4月30日に自殺。5月9日にドイツ国防軍は降伏して欧州における戦争は終結した。また日本も同年8月6日に広島市への原子爆弾投下、8日のソ連軍の参戦、さらに9日の長崎市への原子爆弾投下を受けて10日の御前会議で降伏の決定と諸外国への発表を行い、8月14日にポツダム宣言を正式に受諾、9月2日に降伏文書に調印した。
第二次世界大戦の戦域を大別すると、ヨーロッパと北アフリカ、そして西アジアの一部を除くアジアと太平洋全域に分けられる。このうち、ドイツ・イタリア等とイギリス・フランス・ソ連・アメリカ等が戦った前者を欧州戦線、日本等とアメリカ・イギリス・中華民国・オーストラリア等が戦った後者を日本は大東亜戦争、連合国は太平洋戦争と呼称した[2]。ヨーロッパ戦線はさらに西部戦線、東部戦線(独ソ戦)に大別され、西部ではアメリカ・イギリス・フランス、東部ではソ連がドイツ他の枢軸国と戦った。しかしこのほか中南米やカリブ海、マダガスカル島など世界各地で戦闘が行われた。
戦争は完全な総力戦となり、主要参戦国では戦争遂行のため人的・物的資源の全面的動員、投入が行われた。世界の61カ国が参戦し、総計で約1億1000万人が軍隊に動員され、主要参戦国の戦費はアメリカの3410億ドルを筆頭に、ドイツ2720億ドル、ソ連1920億ドル、イギリス1200億ドル、イタリア940億ドル、日本560億ドルなど、総額1兆ドルを超える膨大な額に達した。
航空機や戦車などの旧来型兵器の著しい発達に加えて長距離ロケットや原子爆弾などの「核兵器」という大量殺戮兵器が登場し、戦場と銃後の区別が取り払われた。史上最初の原子爆弾の投下を含む都市への爆撃、占領下の各地で実施された強制労働や略奪およびユダヤ人強制収容などにより、軍人だけでなく約3000万人(ユダヤ人600万人)の一般市民が命を落とした。民間人の死者は大戦での死者総数約5500万人の半分を超えることとなった。
大戦後、戦勝国は領土を拡張するとともにドイツ東部や東ヨーロッパから1,200万人のドイツ人を追放し[3]、その途上で200万人が死亡した[3]。新たにソビエト領とされたポーランド東部ではポーランド人の追放が行われた。アジア・太平洋では日本人強制送還が行われた。また、捕虜となった枢軸国の将兵や市民はシベリアなどで強制労働させられた[4]。戦争の帰趨に決定的な影響を与えたソビエト連邦とアメリカ合衆国の両戦勝国は、ともに世界を指導する超大国として冷戦の構図をもたらした。戦場となったヨーロッパ、日本は国力が著しく低下した。アジアの元植民地には連合軍が上陸し、再植民地化が行われ、独立を求めるアジア人と独立を支援する日本人志願兵などと連合軍との間で新たな戦争が勃発することとなった(インドネシア独立戦争・ベトナム独立戦争)。
中国では国共内戦が再開され、内戦を制した中国共産党が中華人民共和国を建国して中国が赤化された。台湾では新たに統治者となった国民党と原住民の間に衝突が起きた(二・二八事件)。朝鮮半島では、資本主義国家の大韓民国と、社会主義国家の朝鮮民主主義人民共和国に38度線を通じて分断された他、ドイツも東西に分割統治された。中東では独立を求めるユダヤ人によるテロ活動に疲弊したイギリスはイスラエルの建国を認め、アラブ諸国では、親米部族の部族長を君主とする諸国が建国された。また、ドイツや朝鮮半島は米ソによって分割統治されることとなった。東西冷戦を経て、西ヨーロッパでは大戦での対立を乗り越え欧州統合の機運が高まった。