第二次世界大戦3

出典: Jinkawiki

2013年8月5日 (月) 23:52 の版; 最新版を表示
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<背景と原因>  まず、背景として1929年におこった世界恐慌があげられる。アメリカはニューディール政策でこの危機を乗り切り、当時植民地をたくさん持っていたイギリスやフランスはブロック経済(植民地と植民地を支配していた国とが貿易をし、他国と貿易するのを防ぐこと)で大不況を乗り越えようとした。それに対し、日本やドイツは大不況の影響をうけたうえに、植民地を持っていなかったので、そのような政策をとることができなかった。そこで植民地を侵略し、ブロックを壊してしまおうというファシズムの活動が活発になっていったのが原因である。

<流れ>  1939年ナチスがポーランド侵攻。ポーランドと同盟関係にあったイギリスとフランスはドイツに宣戦布告。ポーランドを制圧したドイツは、1940年オランダ、ベルギー、フランスに侵攻。この三国もドイツの電撃戦の前に敗れ、フランスは降伏。1941年、ドイツはソ連に侵攻するが、厳しい寒さの前に仕方なく退散。またドイツと同盟関係にあった日本が、アメリカに攻撃を仕掛ける。(真珠湾攻撃)1942年、日本がミッドウェー海戦の戦いで大敗する。以後、日本はアメリカに対して劣勢の戦いを強いられることになる。1943年、ソ連のスターリングラードでドイツ軍が大敗。以後ドイツ軍もソ連軍におされるようになる。ここで、ドイツ、日本と同盟関係にあったイタリアが連合軍に上陸され、降伏。1944年、フランスで連合軍が上陸する、ノルマンディー作戦が遂行され、アメリカ軍、イギリス軍が上陸。1945年5月、ベルリンが陥落しドイツが降伏。同年8月、日本の広島と長崎に原子爆弾が投下され、多数の犠牲者を出す。ソ連の参戦もうけ、日本が降伏。1945年、第二次世界大戦終戦。

<ナチスのユダヤ人迫害について>  第一次世界大戦で負けたドイツは多額の賠償金を請求され、軍備も制限され、相当なインフレがおこった。大変な損害を負わされたドイツの民衆の怒りは外面と内面の両方にむけられた。外敵であるイギリスやフランスなど第一次世界大戦の戦勝国へ、そして、ドイツ国内に住むユダヤ人に向けてである。ユダヤ人はドイツ国内に入ってきて、活発な経済活動を行い多くの所得を得ていたためドイツ人から目の仇にされてしまったのである。  ナチスドイツはユダヤ人を完全に迫害するため、さまざまな政策に取り組んだが、もっとも有名な政策といえばやはり強制収容所での大虐殺だろう。いちばん有名な強制収容所はアウシュビッツ強制収容所で、ここでは残虐な人体実験や強制労働、ガス室での大量虐殺、銃殺刑といった様々な虐殺が行われ、多くのユダヤ人がここで命をたった。

<原子爆弾投下について>  原子爆弾投下とは、1945年8月に日本へ投下された2発の原子爆弾の空爆のことを指す。広島へは8月6日、長崎には8月9日に投下された。この空爆は人類史上初めて、そして今のところ唯一の核兵器を実戦で使用されたものである。投下した理由として、アメリカ側は、太平洋戦争での日本本土における直接戦を避け、早期に決着をつけるためと公表している。しかし、第二次世界大戦後の世界派遣を狙うアメリカが、原子爆弾を実戦で使うことにより、国力や軍事力を世界に見せつけるためだったとする説もある。この一発の兵器で広島市の人口35万人のうち、9万~16万6千人が被爆から、2か月から4か月の間に死亡したとされている。今でも被爆の時に浴びた放射能の影響で苦しめられている被爆者もいる。


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