ベトナム戦争16
出典: Jinkawiki
目次 |
ベトナム戦争とは
ベトナム戦争とは1960年から1975年までの15年間に渡りベトナムを南北に分断して南ベトナム軍と北ベトナム軍との武力衝突である。北ベトナム軍(ホー・チ・ミン指導者)を支援する当時のソ連と中国に対し、南ベトナム軍(ゴ・ジェン・ディム政権)を支援するアメリカと他同盟国との代理戦争と言える領土に関係ない政略的な意味あいの戦争であった。
アメリカ人介入による泥沼化
アメリカは「赤いドミノ理論」という、理論ともいえないような病的な主張をしていた。それは、小さくても反米の共産主義国が生まれると、それがドミノ倒しの最初のドミノのようになって周りの国が共産主義国になるかもしれないというところからきている。こうしてアジアの共産化を恐れたアメリカは南ベトナムの後援する。南ベトナムは民衆の支持も全くない、アメリカ軍事力、弾圧、処刑、拷問だけでもっているような腐敗した軍事政権であった。1960年に南ベトナムの共産主義者や社会主義者などが南ベトナム解放民族戦線を結成し、アメリカ軍が介入し、内戦状態になる。アメリカは、反政府勢力を弾圧していき、傀儡政権を樹立していく。そういう中で1964年トンキン湾事件という謀略事件がおこる。アメリカの捏造事件で、北ベトナムの海軍基地を攻撃する。そして1965年北爆が起こり、1968年アメリカは、テト攻勢をうける。テト攻勢とは南ベトナム解放民族戦線と北ベトナム軍が南ベトナム全土に大攻撃を行い、アメリカ大使館を占領したりした。ショックを受けたアメリカは軍をもちいて住民大虐殺事件、ソンミ村虐殺を起こした。これでアメリカ国内に反戦運動が盛り上がることとなり、1975年停戦を迎える
枯れ葉剤
アメリカ軍はこのベトナム戦争でがんを発症させ、生殖機能にも影響するという猛毒ダイオキシンが含まれる枯れ葉剤を南ベトナム解放民族戦線の兵士たちの拠点だったマングローブ林にまき、ベトナム人を苦しめた。枯れ葉剤はベトナム国内の263万ヘクタールに散布され、約366キログラムのダイオキシンが放出されたと推定されている。住民のがん発症や、赤ちゃんの先天的な障害が多発した。結合双生児として生まれ、ホーチミン市で分離手術を受けたグエン・ベトさん(2007年死去)、ドクさん(32)の障害も枯れ葉剤の影響とみられる。 ベトナム政府の支援を受ける「枯れ葉剤/ダイオキシン被害者協会」(VAVA)によると、枯れ葉剤の影響とされる後遺症がある人は国内で約300万人以上。12年にはひ孫に当たる「第4世代」の赤ちゃんの障害が報告されたという。国内28カ所に残るダイオキシンの「ホットスポット」というものが今でも残っている。
参考文献
戦後史をよみなおす 第三章 2ベトナム戦争 著福井紳一 より引用
朝日新聞(Web)astand.asahi.com/webshinsho/asahi/.../2013071900002.html