イスラム教2
出典: Jinkawiki
イスラム教は、メッカの商業貴族ハシーム家のムハンマドによって創始された、世界的宗教のうちの一つ。'契約'による緩やかな統一で比較的寛容な宗教である。 ムハンマドはメッカの商業貴族、クライシュ族のハシーム家出身で、隊商貿易に従事してユダヤ教やキリスト教に触れたと言われている。 610年頃、アッラーの啓示を受けイスラム教を創始した。 メッカで布教したが保守的な住民による迫害が行われ、ヤスリブへと聖遷(ヒジュラ)した(622年)。 ヤスリブでは宗教的指導者として招かれ、以後ヤスリブはその都市名を'予言者の町'という意味の「メディナ」に改称した。 その後メッカを征服し、アラビア半島を統一した。 イスラム教への改宗を条件に安全を確保し、アラブ諸民族が統合された。 中世には猛威をふるっていたが近世に入り次第に衰えていった。
イスラム教の特徴
- 唯一神アッラーへの絶対帰依(このことを「イスラーム」と呼ぶ)
- 信者であるムスリムの義務や生活規範が規定されている・
+六信…アッラー、天使、経典(コーラン)、ジハード、来世、天命を信じること +五行…信仰告白、礼拝、断食、喜捨、巡礼を行うこと +聖戦(ジハード)…イスラム世界拡大または防衛のための戦い +その他…豚を食べること、飲酒の禁止など
- 神の前の平等…聖職者の存在を認めない
- イスラーム法(シャリーア)…個人の内面的生活から社会、国家の在り方まで含む宗教法。
- 旧約聖書、新約聖書はイスラム教に先立つ神の啓示の書とされ、キリスト教、ユダヤ教は「啓典の民」といって他の異教徒より優遇され、税を払えば信仰の自由や自治が認められていた。
- アラブの統治は異民族・異教徒に寛容で「コーランか、貢納か、剣か」という言葉に代表されるように征服のための戦いは最終手段であった。
- 聖典コーランはアラビア語で書かれ、他の言語に訳するのを禁じたため信者はアラビア語でコーランを読めなければいけない。
シーア派とスンナ派
シーア派とは、第四代カリフのアリーとその子孫のみを正当なカリフと認める少数派(約10%)で、主にイラン地方中心である。 スンナ派(スンニ派ともいう)はムスリムの約9割を占める多数派で、正統カリフ以下の全てのカリフを認める。コーラン・スンニ(ムハンマドの言行にもとづく模範・先例・行為規範)を重視する。 この二つの宗派は宗教上の実践では大差がない。