ホロコースト 3

出典: Jinkawiki

2015年7月29日 (水) 12:31 の版; 最新版を表示
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ホロコーストは、第2次世界大戦中にナチスドイツがユダヤ人に対して行った組織的、国家的な大量虐殺のこと。 その語源はギリシャ語で「すべてを焼き尽くす」という意味であり、最初はドイツ国内で、その後ナチスドイツの侵攻により支配下となった国々でも起こった。最終的には約600万人ものユダヤ人が虐殺されることになった。


内容

・始まり

1933年、アドルフ・ヒトラーがリーダーとなったドイツのナチス党が選挙により政権についた。当時のドイツは、第1次世界大戦の敗戦による影響で経済的、社会的に不安定な状態だった。そこでヒトラーは、ドイツの領土を拡大することで安定を取り戻し、同時に国の強化を画策した。 ヒトラーはドイツ民族こそが世界で最も優れた種族であり、ユダヤ人は人種的に劣っている種族であるとし、差別を行うようになった。ユダヤ人の店での買い物を禁止にする等から始まり、公職、政界、教育や芸術の場からの追放など徐々に差別はエスカレートしていった。


・ゲットーの誕生

1935年に「ニュールンベルク法」が公布され、ユダヤ人は結婚も制限されるようなった。 第2次世界大戦の開戦後、ドイツは占領したポーランド国内で、ユダヤ人に”ダビデの星”と呼ばれる黄色いしるしをつけるように命令した。この”ダビデの星”は、ユダ人とそうでない人を見分けるためのものであり、「”ダビデの星”をつけなければ厳罰に処す」という命令も公布された。 その後、ポーランド国内にゲットーと呼ばれるユダヤ人のみを集めて生活させる区域が作られた。ゲットーでは最低限の生活しか許されず、食糧不足、強制労働、自由の拘束など収容施設となんら変わらない環境であった。ゲットーは占領下となった国々で次々と作られていった。


・ユダヤ人絶滅計画と絶滅収容所の完成

1941年、ヒトラーはソ連にも攻め込み、ユダヤ人を集めては銃殺を繰り返すなど迫害はさらにエスカレートしていった。ソ連領土内で8か月にわたり、100万人もユダヤ人が虐殺されていった。 ナチスはヨーロッパに残っているユダヤ人を全滅させることを決定し、これを「ユダヤ人問題の最終的解決」と呼んだ。これまでの方法ではユダヤ人の全滅はできないと考えたナチスは、アウシュビッツをはじめとする6つの収容施設をポーランドに建設した。


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