教育勅語2
出典: Jinkawiki
教育勅語とは 1890年に天皇の言葉として発布されたもので、忠孝の道徳を教育の基本とするように命じたものである。
本文
朕惟フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト宏遠ニ徳ヲ樹ツルコト深厚ナリ我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世々厥ノ美ヲ濟セルハ此レ我カ國體ノ精華ニシテ敎育ノ淵源亦實ニ此ニ存ス爾臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭儉己レヲ持シ博愛衆ニ及ホシ學ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓發シ徳器ヲ成就シ進テ公益ヲ廣メ世務ヲ開キ常ニ國憲ヲ重ジ國法ニ遵ヒ一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ是ノ如キハ獨リ朕カ忠良ノ臣民タルノミナラス又以テ爾祖先ノ遺風ヲ顯彰スルニ足ラン 斯ノ道ハ實ニ我カ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ子孫臣民ノ倶ニ遵守スヘキ所之ヲ古今ニ通シテ謬ラス之ヲ中外ニ施シテ悖ラス朕爾臣民ト倶ニ拳々服膺シテ咸其徳ヲ一ニセンコトヲ庶幾フ 明治二十三年十月三十日
御名御璽
内容 この教育勅語の主な内容は「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ是ノ如キ」の部分であるといってもいいだろう。この文の意味は「ひとたび国家の一大事(戦争)になれば、勇気をふるいたてて身も心もお国(天皇陛下)のためにささげることで、天にも地にも尽きるはずの無い天皇陛下の御運命が栄えるようにお助けしなければいけない」とするものである。つまりは戦争となったら天皇陛下の為に命をすてて闘えということである。
教育勅語に関して
当時この教育勅語は学校で校長が読み上げるものであり、読み上げている最中は全員頭を下げていなくてはならなかった。またそれだけでなく、もし校長が一字でも読み間違えたのなら辞めさせられることもあったし、火事などによって燃えてしまったなどということがあったのならば校長が自害するということもあったという。いまとなれば「ただの紙切れ1枚」というように感じるが当時はとても重要視されるものであったのだ。そして現在この教育勅語を覚えさせている幼稚園が関西のとある県にあるという。園児たちは教育勅語を暗記していて全文言えるようだがその意味までは理解していない。もし教育勅語の意味までを教えるようになったらまた新たな問題が発生するのではないだろうか。戦争の反省を活かして「教育」というものが間違った方向に進んでしまわないように気をつける必要があると思う。
参考文献
高校日本史B 2015 実教出版
教育勅語 2000 勉誠出版