タリバン3
出典: Jinkawiki
タリバン
概要
ターリバーン(英:Taliban)は、パキスタンとアフガニスタンで活動するイスラム主義運動。1996年から2001年11月頃までアフガニスタンの大部分を実効支配し、アフガニスタン・イスラーム首長国(ターリバーン政権)を樹立した(国際的には一部国家を除いて承認されず)。日本語メディアでは通常タリバンと表記される。 ターリバーンの最高指導者はムハンマド・オマル。2001年の政権崩壊以降は消息不明であったが、2015年7月にアフガニスタン政府により、2013年4月にオマルが死亡していたことが確認されたと発表された
成立
ターリバーン側の主張によると、ムハンマド・オマルが20人の同志とともに始めたものだとされている。1994年頃から台頭し始めた。彼らはマドラサと呼ばれるイスラム神学校の学生たちが中心であり、ターリバーンが快進撃を続け、軍閥を追い散らし、治安を安定させ秩序を回復するようになったので、住民たちは当初ターリバーンを歓迎した。当時、アフガン市民たちは、長年にわたる内戦とそれに伴う無法状態、軍閥たちによる暴行、略奪などにうんざりし、絶望感を抱いていたため、治安を回復するターリバーンの活躍に期待した。 しかしその後、ターリバーンがイスラム教の戒律を極端に厳格に適用し、服装の規制、音楽や写真の禁止、娯楽の禁止、女子の教育の禁止などを強制していくにしたがって、住民たちはターリバーンに失望するようになった 。
1996年9月に首都カーブルを制圧し、国連施設に幽閉されていた元大統領のムハンマド・ナジーブッラーを引きずりだして公開処刑として惨殺した。カーブル制圧後、「アフガニスタン・イスラーム首長国」を建国したが、すぐにはどの国からも承認されなかった。1997年5月にターリバーンが北部の主要都市マザーリシャリーフを制圧したのを受け、パキスタンが世界で初めて政府承認し、すぐにサウジアラビア、アラブ首長国連邦が続いた。
1998年にターリバーンがマザーリシャリーフを制圧した際に、住民の大虐殺を行った。マザーリシャリーフはアフガニスタンの少数民族であるウズベク人やハザーラ人が大きな割合を占めるが、ターリバーンはそうした少数民族、特にハザーラ人を標的に虐殺を行った。
引用文献 Wikipedia タリバン https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%B3
毎日新聞2008年10月20日朝刊1面