核抑止論2

出典: Jinkawiki

2015年8月1日 (土) 13:50 の版; 最新版を表示
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広島・長崎に落とされた原子爆弾の威力はすさまじいものだった。


これを受け、米ソはこの1000倍以上の威力のある水素爆弾を保有し、あらかじめ核を持つことで他国からの先制攻撃を抑止するという核抑止体制を取るようになった。


この爆弾が持つ破壊力は恐ろしいもので、核保有国への不信感もあいまり、核軍拡競争が繰り広げられることになる。その結果両国は、全人類を破滅させられるほどの核兵器を保有することになった。

危険因子を逆手に取り、平和維持に有効なように評価されていたが、何かのきっかけで核戦争を起こしうる可能性を十分にはらんでいる。実際に1962年のキューバ危機で、米ソは核戦争の手前まで近づいた。この危機の直後、両国はホットライン協定を結び、核戦争を避けるために首脳間での直接対話ができるようにした。


1970年代になると両国は戦略兵器制限交渉(SALTⅠ・Ⅱ)を進め、核開発競争を互いに抑制することとした。


しかし核兵器反対運動もおこっていた。イギリスの思想家ラッセル、アメリカの物理学者アインシュタインは水素爆弾の脅威を世界に訴えかけ、核兵器廃絶のためにラッセル・アインシュタイン宣言を発表した。


湯川秀樹ら世界的な科学者がこれに署名、1957年にはカナダでパグウォッシュ会議が開催された。


日本では1954年の第五福竜丸事件をきっかけに広島と長崎の被爆の実態を世界に訴えるべく原水爆禁止運動を活発化させていった。

核保有が正しい選択であるのかは、賛否が分かれるだろう。



HN:羊一


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