カシミール戦争

出典: Jinkawiki

2015年8月5日 (水) 01:04 の版; 最新版を表示
←前の版 | 次の版→

カシミール戦争  1947年にイギリスが南アジアから撤退した時、支配していた地域を2つの国に分割した。ヒンドゥー教が中心の地域がインドになり、ムスリムが中心の地域がパキスタンになることになった。しかじ分割の基準は十分明確ではなく、紛争の対象となる地域もあった。それらの最もたるものが、インド亜大陸北西に孤絶した山岳地帯に位置する「藩王国」カシミールである。かつては半ばじりつしており、カシミールはいずれの国にも編入されることに消極的であった。大1次インド=パキスタン戦争(1947~1948年)は、カシミールの支配をめぐって戦われたが、インドもパキスタンもその一部を領有できたに過ぎない。中国も一部を獲得した。高原の孤絶した、ほとんど住民のいないアクサイ・チンであり、この地域をめぐって中国とインドは1962年に短期間戦い、インドは決定的な敗北を喫した。  再びカシミールをめぐって、第2インド=パキスタン戦争が1965年に勃発した。この時はインドのグジャラート州で係争になっている地域へのパキスタンの侵攻に対して、インドの軍事的対応が微温的であったことが、カシミールのインド支配地域を奪えると、パキスタン軍部に思わせたのであった。しかし、パキスタンは手を出しすぎ、インドは強硬に対応してパンジャブのパキスタン領に軍事作戦 を展開するまでにいたった。国連安保理が停戦を求めたのちに交戦は終わり、両国は紛争解決の交渉に合意したが、結局は交渉に失敗した。大3次インド=パキスタン戦争(1971年)は最も壊滅的な戦争であった。約9000人のパキスタン兵と約2500人のインド兵が死亡した。しかし、第1次と大2次の戦争とは対照的に、大3次の戦争はカシミールをめぐって争われたわけではなかった。それはパキスタンの国内紛争として始まり、最終的には、東パキスタンがバングラデシュとして分離する結果になった。  インドとパキスタンの紛争を今日これほど危険なものにしているのは、両国が核兵器保有しているという事実である。インドがまず核兵器を開発した。1974年に「平和的な核爆発」に成功したのである。インドは中国と、安定はしてはいるものの、継続的に領土紛争を抱えており、核実験は主として中国への抑止シグナルとして意図されたものであった。しかし、インディラ・ガンディ首相はインドの核能力を直ちに「武器化」しなかった。大3次インド=パキスタン戦争に破れたことから、パキスタンは1972年に核兵器開発計画に着手した。だが、核兵器を製造する能力の方は、その意図が必ずしも明らかではなかった。インドのアタル・ビハリ・ヴァジパイ首相は、あるいは抑止のシグナルを中国とパキスタンの双方に発するつもりだっただけなのかもしれない。これらの動機が組み合わさったことも、十分に考えられる。パキスタンの対応は当然、きわめて明確な抑止であった。ただ、パキスタンは核実験を急いだため、それほど成功したとは言えなかった。  さらにいくつかの要因が、進行中のインドとパキスタンの対立をとりわけ憂慮すべきものにしている。1つは、両国共に紛争につながる誤認と誤断の長い歴史を持っていることである。一例を挙げるとすれば、1999年のカーギル紛争である。双方の核実験直後だったにも関わらず、両国は直接紛争にいたった。換言すれば、この場合、インドとパキスタンの核兵器にはほとんど抑止の価値が無いことが分かったのである。他に憂慮すべき点は、インドの核兵器が比較的安全と思われる文民統制の下に置かれているのに対して、パキスタンのそれは軍部が管理しており、パキスタン軍部はきわめて政治的でリスクを冒すことを恐れないことで知られていることである。第3に、パキスタンは責任ある核管理の文化や歴史を欠いている。パキスタンで核科学を主導したA.Q.カーンは、同国とリビア、イラン、北朝鮮をつなぐ大規模な国際的拡散ネットワークの中核であり、彼は不拡散という地球的大義を世界中で最も害した人物と言ってもよい。第4に、インドが比較的安定した民主主義国であるのに対して、パキスタンはそうでなく、国内の主要な勢力はイスラーム過激派に同情的である。それほど高い確率でないにしても、アル・カイーダのようなテロリスト集団が核兵器を入手するとすれば、パキスタンからの流出の可能性が最も高いとほとんどの分析者が信じている。  インドとパキスタンが核クラブに入ってしまったことはの国際的対応は、いくらかの矛盾をはらみながらも熱心なものであった。不拡散という台頭する規範を侵害したと、両国共に声高に非難され、一時は制裁を科された。ジョージ・W.ブッシュ大統領は2006年3月にインドのマンモハン・シン首相と取引をして、インドが民生用核施設移転を禁じる国内法から、インドをれいがいとした。アメリカは、世俗的な民主主義を守り立てイスラームの反乱と戦うのを応援するためパキスタンの軍部に技術を提供しようとしてきたのである。しかし、カシミール問題への永続的で完全な解決なしには、インドとパキスタンの核戦争の可能性は払拭できない。

参考文献:『国際紛争 理論と歴史  ジョセフ・S.ナイ・ジュニア/著 デイヴィッド・A.ウェルチ/著 田中明彦/訳 村田晃嗣/訳 有斐閣 2013年04月 』

( http://wakaru-news.com/blog-entry-66.html )2015.7.31:( http://www.gijodai.ac.jp/csas/knowledge/kashmir.html ) 2015.7.31


  人間科学大事典

    ---50音の分類リンク---
                  
                  
                  
                  
                  
                  
                  
                          
                  
          

  構成