イラク戦争18
出典: Jinkawiki
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イラク
正式名称はイラク共和国でアジア大陸南西部に位置し、首都はバグダードで、メソポタミア文明の発祥地。面積は43万7072㎢で人口は3296万人に及ぶ。イスラム教が全国民の99%を占めており、次いでキリスト教が0.8%、ヒンズー教・ユダヤ教・仏教が0.1%である。イスラム教徒にはシーア派とスンナ派が存在しており、イラク国内ではシーア派が過半数を占める。公用語はアラビア語、クルド語、トルコ語である。
イラク戦争
概要
2003年3月、当時のアメリカ合衆国ジョージ・W・ブッシュ政権が、イラクが大量破壊兵器を保持しているとし、イラクに対してアメリカやイギリスなどの多国籍軍が空爆や地上戦によって侵攻し、イラクのサダム=フセイン政権を倒壊させた戦い。この戦争はアメリカ合衆国が主体となり、イギリス、オーストラリア等が加わる有志連合による軍事行動として実行された。正規軍同士の戦いは2003年中に終了し、同年5月にアメリカ大統領であるジョージ・W・ブッシュ大統領により、「大規模戦闘終結宣言」が出されたが、イラク国内では治安の悪化が問題となり、イラク国内での戦争は続いた。2010年8月にアメリカ大統領のバラク・オバマにより改めて「戦闘終結宣言」と「イラクの自由作戦」の終了が宣言され、翌日から米軍撤退後のイラクのみでの国の治安維持に向けて「新しい夜明け作戦」が始まった。イラク戦争という名称はアメリカ合衆国がイラクを敵視する一方的な呼び方であるという意見があり、戦争に至った経緯を踏まえて第二次湾岸戦争と呼ぶ人もいる。2011年12月、米軍のイラクからの完全撤収により、バラク・オバマ大統領がイラク戦争の終結を正式に宣言した。
イラク戦争の背景
イラク戦争は、アメリカで起こったアメリカ同時多発テロにより当時のアメリカ大統領であるジョージ・H・W・ブッシュ大統領が危機感を覚え、2003年にイラクが大量の破壊兵器を保有していることを理由にアメリカ、イギリス軍がイラクを攻撃し始まった。イラクのクウェートへの侵略行為に対してアメリカを中心とする多国籍軍がイラクを攻撃した湾岸戦争の終戦条件としてイラクは1991年4月に国連安保理決議687を受託した。イラクは経済制裁の解除の条件として大量破壊兵器の破棄を義務づけられた。これにより国連は定期的にイラクに対して監査を行ったがイラク側が妨害し監査ができなかった。1998年に大量破壊兵器の監査を妨害するイラクに対してアメリカやイギリスが空爆するがイラクは監査を拒んだ。
年表
1990年8月 イラク軍がクウェートに侵攻(クウェート侵攻)
1991年4年 イラク、大量破壊兵器の破棄を義務付けられる(湾岸戦争の終戦条件として国際連合安全保障理事会は敗れたイラクに対し、国際連合安全保障理事会決議687において、核兵器や生物兵器や化学兵器などの大量破壊兵器の破棄を命じた)
1991年6月 『UNSCOM《国際連合大量破壊兵器廃棄特別委員会》』UNSCOMがつくられ、イラクに事前通達をし、査察を行うようになった