イラク戦争18

出典: Jinkawiki

2016年7月29日 (金) 20:06 の版; 最新版を表示
←前の版 | 次の版→

目次

イラク

正式名称はイラク共和国でアジア大陸南西部に位置し、首都はバグダードで、メソポタミア文明の発祥地。面積は43万7072㎢で人口は3296万人に及ぶ。イスラム教が全国民の99%を占めており、次いでキリスト教が0.8%、ヒンズー教・ユダヤ教・仏教が0.1%である。イスラム教徒にはシーア派とスンナ派が存在しており、イラク国内ではシーア派が過半数を占める。公用語はアラビア語、クルド語、トルコ語である。

イラク戦争の概要

2003年3月、当時のアメリカ合衆国ジョージ・W・ブッシュ政権が、イラクが大量破壊兵器を保持しているとし、イラクに対してアメリカやイギリスなどの多国籍軍が空爆や地上戦によって侵攻し、イラクのサダム=フセイン政権を倒壊させた戦い。この戦争はアメリカ合衆国が主体となり、イギリス、オーストラリア等が加わる有志連合による軍事行動として実行された。正規軍同士の戦いは2003年中に終了し、同年5月にアメリカ大統領であるジョージ・W・ブッシュ大統領により、「大規模戦闘終結宣言」が出されたが、イラク国内では治安の悪化が問題となり、イラク国内での戦争は続いた。2010年8月にアメリカ大統領のバラク・オバマにより改めて「戦闘終結宣言」と「イラクの自由作戦」の終了が宣言され、翌日から米軍撤退後のイラクのみでの国の治安維持に向けて「新しい夜明け作戦」が始まった。イラク戦争という名称はアメリカ合衆国がイラクを敵視する一方的な呼び方であるという意見があり、戦争に至った経緯を踏まえて第二次湾岸戦争と呼ぶ人もいる。2011年12月、米軍のイラクからの完全撤収により、バラク・オバマ大統領がイラク戦争の終結を正式に宣言した。

イラク戦争の背景

イラク戦争は、アメリカで起こったアメリカ同時多発テロにより当時のアメリカ大統領であるジョージ・H・W・ブッシュ大統領が危機感を覚え、2003年にイラクが大量の破壊兵器を保有していることを理由にアメリカ、イギリス軍がイラクを攻撃し始まった。イラクのクウェートへの侵略行為に対してアメリカを中心とする多国籍軍がイラクを攻撃した湾岸戦争の終戦条件としてイラクは1991年4月に国連安保理決議687を受託した。イラクは経済制裁の解除の条件として大量破壊兵器の破棄を義務づけられた。これにより国連は定期的にイラクに対して監査を行ったがイラク側が妨害し監査ができなかった。1998年に大量破壊兵器の監査を妨害するイラクに対してアメリカやイギリスが空爆するがイラクは監査を拒んだ。そのうちアメリカ軍はサダム・フセイン大統領さえ殺害すれば、イラク国民が起ち上がるだろうと考え、サダム・フセイン大統領の殺害をねらいピンポイントでサダム・フセイン大統領をねらったが、失敗した。フセインはその後テレビに出演し健全ぶりをアピールをしたがそれが多国籍軍に火をつけさせた。その日の夜からアメリカ軍とイギリス軍は空爆を本格化させていった。イラク軍は大きな抵抗をしたが、アメリカ軍はクラスター爆弾などを投下し、その抵抗力を抑えた。4月4日にはバグダードに突入し、9日には市民とアメリカ軍によってサダム・フセイン像が倒され、事実的にフセイン政権が崩壊した。イラク陸軍は軍団ごとに次々に降伏していった。5月1日にはイラク軍の組織的な抵抗は終わり、ブッシュ大統領は勝利宣言を行った。サダム・フセインはその後も潜伏を続けたが、2003年に保捉された。2005年にイラク高等法院で裁判にかけられ死刑判決を下された。サダム・フセインはすぐに処刑された。イラク戦争の公式的な開戦理由は大量破壊兵器の隠蔽だとされているが、その後大量破壊兵器の存在は実際には証明されておらず、アメリカ政府は大量破壊兵器の証明は破棄されたと発表した。

年表

1990年8月 イラク軍がクウェートに侵攻(クウェート侵攻)

1991年4年 イラク、大量破壊兵器の破棄を義務付けられる(湾岸戦争の終戦条件として国際連合安全保障理事会は敗れたイラクに対し、国際連合安全保障理事会決議687において、核兵器や生物兵器や化学兵器などの大量破壊兵器の破棄を命じた)

1991年6月 『UNSCOM《国際連合大量破壊兵器廃棄特別委員会》』UNSCOMがつくられ、イラクに事前通達をし、査察を行うようになった

1998年10月 大量破壊兵器査察を拒否(UNSCOMが抜き打ちで査察をするようになり、イラクは査察の協力の拒否を始める)

同年12月 イラクの拒否により査察が行えなくなりUNSCOMが解体される

2003年3月 15日にアメリカ、イギリス、スペインがアゾレス諸島で密談(独断で開戦に踏み切ることを決定)

同年3月 17日にブッシュ大統領がイラクに対してテレビで最後通告を演説(フセイン一族と主要官僚の48時間以内の国外退去を命じる。これに対しフセイン大統領は、「徹底抗戦」を宣言

同年3月 19日に米英軍による「イラクの自由作戦」が開始され、首都のバグダードなどを中心としたイラク共和国が連日空爆される

同年3月 20日にクエートから地上部隊が北陸を開始し、地上戦が始まる

同年3月 23日にバアス党のナジャフ県支部長のナーイフ・シンダーフ・サーミル・ガリーブが戦闘で死去

同年4月 7日にアメリカ軍はバグダードの宮殿の一つを占拠したと発表

同年4月 10日にバグダードのサッダーム・フセイン像がアメリカ軍により倒される

同年4月 フセイン像が倒されたことにより11日にアメリカ政府が事実上フセイン政権が崩壊したと発表

同年同日 モースルを防衛していたイラク陸軍第五軍団がアメリカ軍との交渉により無血で降伏

同年4月 15日にイラク西部アンバール県を防衛していたイラク西部軍がラマーディーにて降伏文書に署名

同年5月 1日にアメリカのブッシュ大統領が「大規模戦闘終結宣言」を発表

同年5月 22日に国連安保理でアメリカとイギリスによるイラクの統治権限の承認、国際連合安全保障理事会決議1483が採択される

同年7月 イラク統治評議会が発足

同年8月 バグダードの国連事務所で自爆テロが起こり、国連事務総長特別代表セルジオ・デメロが死去し国連がイラクから撤退する

同年11月 27日にブッシュ大統領が極秘でバグダードを訪問した(その訪問時間はわずか150分)

同年12月 サダム・フセインが保捉される

2004年10月 アメリカが一方的に勝利宣言をし、イラク戦争は終戦となる

2005年10月 サダム・フセインがイラク高等法院で裁判にかけられる

2006年12月 サダム・フセインが死刑判決を下され、処刑される

イラク戦争の戦力

≪多国籍軍≫ ・戦車4000両・装甲車5500両・火砲2400門・航空機2700機・武装ヘリ300機・艦艇550隻(空母、戦艦、揚陸艦、フリゲート艦、掃海艇等) 

アメリカ軍は戦車M60A1、M551シェリダン、M1戦車、M1A1戦車、装甲車はM2/M3ブラッドレー、海兵隊所属のAAVA1、M113、LAV-25、MLRSなど。 イギリス軍はチャレンジャー戦車、ウォーリアなど。フランス軍はAMX-30B2戦車、装甲車としてFV432、VAV装甲車、ERC-90サゲ―装甲車偵察車、AMX-10RC、フクスNBC偵察車など

≪イラク軍≫・兵力98万人・戦車5600両・火砲3000門・地対空ミサイル500発・航空機700機・艦艇40隻(ほとんどが小型艇)

戦車はT62Aを1500両、T72M1を1000両、エニグマ1500両、69式戦車500両、装甲車はBMP1500両、MT-LB装甲輸送車、BTR-50、OT-621500両、YW-531装甲兵員輸送車1000両など

イラク戦争の詳細

【国】アメリカ、イギリス、オーストラリア、ポーランド、フランス、韓国、グルジア、ウクライナ、イタリア、オランダ、スペイン、イラク共和国

【犠牲者数】≪多国籍軍≫戦死=4807名 戦傷=3万2765名 負傷・病気・その他=5万1139名  ≪イラク治安部隊≫戦死=1万6623名 負傷=4万名以上  ≪民間軍事会社≫戦死=1554名 負傷=4万7541名  ≪イラクの息子達≫戦死=1002名以上 負傷=828名

戦死者合計:2万4219名   戦傷者合計:11万7961名

イラク戦争と日本の関わり

日本はイラク戦争に参加していた。しかしそれは戦力ではなくイラクの国家再建の支援のため。イラク戦争初期の2003年12月から2009年2月まで、日本の自衛隊がイラクの国家再建のためにイラクへ送られた。(自衛隊イラク派遣)陸上自衛隊は「給水」と「医療支援」と「公共施設の復旧と整備」の人道復興支援活動で、給水支援は約5万3500トン(1日平均200トン)を給水。医療支援は医療器材の使用方法や医療技術の指導。公共施設の復旧と整備は、学校を36校、道路31か所、診療所66か所、公共施設の復旧などで1日平均700人の現地民を雇用、復興関連物質の輸送。海上自衛隊は「人道復興支援」と「安全確保支援」がある。人道復興支援は、日本の人道復興支援関連物資や陸上自衛隊が使用する物資や隊員などを輸送。安全確保支援は、イラクの治安回復活動に関連した多国籍軍の物資や兵員などの輸送。また、兵員輸送と武器や弾薬の取り扱い。輸送回数は821回で輸送物質の総量は673トンにも及ぶ。イラク復興支援を行った者に陸上幕僚長から第一級賞状と第二級賞状と第三級賞状が授与された。


  人間科学大事典

    ---50音の分類リンク---
                  
                  
                  
                  
                  
                  
                  
                          
                  
          

  構成