ベトナム戦争27

出典: Jinkawiki

2016年7月30日 (土) 05:06 の版; 最新版を表示
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目次

ベトナム戦争とは

 ベトナム戦争とは、1965年に本格化しインドシナ半島で行われた。統一の主導権をめぐり、南北ベトナムが対立する中でインドシナの共産化を恐れたアメリカが介入し南を支援したのに対し、北ベトナム軍と南ベトナム解放勢力が協力し、アメリカ軍・南ベトナム政府軍と戦った戦争である。それは「失われたベトナム」を回復するための「統一」を目的とする戦争であったともいえる。また、インドシナ戦争(1946~54)後に南北が分裂したため、第二次インドシナ戦争とも言われている。ベトナム社会主義共和国では「米国戦争」「対米抗戦」「抗米救国戦争」などと呼ばれる。

ベトナム戦争の開始

 ベトナム戦争は「宣戦布告なき戦争」である。そのため、 ベトナム戦争は、南北ベトナムという分裂された国家間の統一をめぐる闘いではあったが、基本的には南ベトナムの内戦から始まったという意見と、1964年8月のトンキン湾事件か、65年2月アメリカが北ベトナムを爆撃したことから始まったとされる意見など、始まり方についてはさまざまな意見がある。


ベトナム戦争の背景

   ベトナム戦争の背景となるのは、第二次世界大戦である。第二次世界大戦以前のベトナムはフランス領インドシナ連邦として、フランスの植民地となっていた。しかし、ヨーロッパで第二次世界大戦が勃発するとフランスはドイツに敗北し、降伏した。そのため、日本軍がフランス領インドシナ連邦に進駐することになったが日本も敗北した。日本の敗北をうけ、1945年9月北部にホー・チ・ミン率いるベトナム独立同盟がベトナム民主主義共和国を樹立し独立を宣言した。この独立を認めたくないフランスは、南部に傀儡政権を建国し北ベトナムと争った。これが、第一次インドシナ戦争である。この闘いは8年続くがフランスの敗北に終わった。そして、1954年7月ジュネーブ協定により北緯17度を境にベトナムは分断されることとなる。そこから南北の闘いが始まりベトナム戦争が勃発するのである。

 

アメリカの介入

 アメリカは社会主義の拡大を恐れていた。また、北ベトナムはソ連や中国の支援を受けており、アメリカは南ベトナムを支援していた。北ベトナムがそのため東南アジアで初めての社会主義国家であった北ベトナムを1965年アメリカは攻撃し、255万トンもの爆弾を落とした。太平洋戦争で日本が落とされた爆弾の数は、13万トンであり225万トンはとてつもなく多い数である。アメリカは当時世界で最強の国ともいえるほどの勢力をもっていたため、北ベトナムはすぐに降伏するだろうと思っていた。ところが、北ベトナムはアメリカが思っている以上に強敵であり、予想外に戦争は長期化し30年にもわたった。そしてついにベトナム戦争はゲリラ戦となり、民間人も軍人も関係なく子供やお年寄りまでもが戦争に巻き込まれるという非常に残酷な戦争となった。北ベトナムの兵士は、ジャングルに隠れてアメリカを攻撃したてめ、アメリカは枯葉剤を空中から散布し、ベトナムの森林を破壊しようとした。つまりアメリカは、ベトナムの森林を破壊し北ベトナム兵士の隠れる場所をなくそうとしたのである。その際に使われていた枯葉剤には、猛毒であるダイオキシンなどの 人体に有毒な成分が入っていたため、その後のベトナムでは、奇形児や障害児がたくさん誕生するようになった。しかしそこまでしてもアメリカはベトナム戦争で敗北してしまった。理由として、内外の反対運動と経済的負担のために戦争を続けることが困難になってしまったのである。1973年1月27日ベトナム和平協定が調印され、その2か月後の3月29日アメリカ軍はベトナムから撤退した。世界最強のアメリカは唯一ベトナム戦争に敗北したのである。その後ベトナムは北ベトナムによって統一され、現在のベトナム社会主義共和国となった。

ベトナム戦争と日本

 ベトナム戦争と日本は以外にも深い関わりがあった。ベトナム戦争と日本との関係について考える際、ベトナム戦争が日本とフランスの共同支配下であるインドシナにおいて、「独立運動」として始まったということを思い出す必要がある。1945年に独立したベトナム民主共和国は独立宣言のなかで、「わが人民は、ベトナムの独立をフランスの手からではなく、日本の手から奪い返した。」とあるように、事実上はベトナムは日本の植民地といえる状況であった。8月15日の日本敗戦を機としてベトナムは、日本から独立を勝ち取ったことになる。そしてその後、敗戦国となった日本がGHQによる占領下にあった時期にベトナムは戦争を開始するのである。アメリカの太平洋軍司令官が「沖縄なくして、ベトナム戦争を続けることはできない。」と語ったように、日本はアメリカ軍にとって重要な基地となる。アメリカの施政下にあった沖縄からは、B52戦略爆撃機が飛び立ち、ベトナムに多くの数の爆弾を落とした。また、爆弾や毒ガス、軍服、車両、枯葉剤などアメリカ軍にとって必要な物資をつくり、羽田利用空港期の40%はアメリカ軍チャーター機であり、日本の生産業は「ベトナム特需」で潤った。一方でベトナム戦争の激化に伴い国内では、反戦運動も広まった。


ベトナム戦争の終結 

 ベトナム戦争の終結は1973年1月27日ベトナム和平協定(パリ協定)が結ばれたことがきっかけである。パリ協定はベトナム民主共和国(北ベトナム)・ベトナム共和国(南ベトナム)・南ベトナム共和国臨時革命政府・アメリカ合衆国の間で調印された協定であり、すべての参加国は「1954年のベトナムに関するジュネーブ協定によって承認されたベトナムの独立・主権・統一性・領土を尊重する」ように要請された。その後1973年1月29日ニクソン大統領はベトナム戦争の終戦を宣言し3月29日に南ベトナムから撤退した。だが、ベトナム戦争は終結せず、北ベトナムは南ベトナムを解放する軍事作戦を決定して1975年に実行された。南ベトナムのサイゴン政権は予想外ともいえる敗戦を繰り返し4月30日にサイゴン陥落となり南ベトナム政府は無条件降伏したため、30年にも及ぶベトナム戦争は終結をむかえた。

ベトナム戦争の戦後

 1973年サイゴン陥落により南ベトナムが降伏したためベトナム戦争は終結し、1976年7月2日ベトナムはベトナム社会主義共和国として統一された。しかし、ベトナムに「平和」は訪れなかった。ベトナム戦争終結後、ベトナムをはじめとするインドシナ3国から大量の難民が流出し、1978年12月にはベトナムとカンボジアとの戦争が始まった。そのため、今やベトナム戦争が終結して40年が経過したが40年間の中で復興が見られるようになったのは、ベトナム戦争が終結した15年くらい後のことであり、1990年を過ぎたころから経済的な復興、生活の向上などを願って復興に向けた取り組みを行うようになった。しかし現在でも、かつての爪痕は様々な部分で残されている。その一つの例として、枯葉剤である。アメリカ軍がまき散らした枯葉剤に有害物質が含まれたいたため。いまでも奇形児が誕生するなどという被害は収まっておらず、多くの人々が苦しんでいる。ベトナム戦争から40年ベトナムは着々と復興にむけて歩んでいる。


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