三富新田
出典: Jinkawiki
概要 江戸時代に、武蔵野台地、別名堀兼の地と呼ばれる土地に川越藩によって作られた村。昭和3年に三富開拓地割遺跡をして埼玉県の史跡に指定。現在世界農業遺産を目指す。
歴史 江戸時代、元は29カ所の入会秣場であったものを川越藩が耕地に変更。人口の増加により、水はけが極めてよく田畑にむかない土地であったが、一世帯につきおよそ縦675m、横75mの広大な長方形の土地を与えることによって収穫を増やそうとした。
産業 川越ブランドの芋やサツマイモのほかに、米や麦、豆類、カボチャにトウモロコシなどを栽培。収穫の少なくなる時期にはヤマ仕事などをして過ごした。
住所 埼玉県入間市三芳町上富/埼玉県所沢市中富、下富