キリスト教7

出典: Jinkawiki

2016年7月30日 (土) 20:14 の版; 最新版を表示
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キリスト教概観 キリスト教は、古代イスラエルの宗教、ユダヤ教を基盤に、その律法主義を批判して神の愛を説いたイエスの教えから成立した。イエスの処刑後、その弟子たちは教えを伝道し、キリスト教は地中海世界に広がり、4世紀にはローマ帝国の国教となった。その後、キリスト教は古代ギリシャの哲学と接触し。教父たちはそれをもとにキリスト教思想を確立した。またキリスト教の聖典にはユダヤ教の聖典でもある「旧約聖書」とイエスの死と復活によって結ばれた、新しい救いの約束である「新約聖書」がある。現在、キリスト教の教派はおもにギリシャなど東地中海沿岸諸国およびロシア、アメリカに広まる正教会、ローマ教皇を中心とするカトリック、カトリックに対する宗教改革から発生したプロテスタントの諸教派がある。ほかにも、エチオピア・エジプト・イラク・シリア・アルメニア・インドなどにまたがって信者を有し、その地方では無視できない信徒人口をもつ東方諸教会と呼ばれる教派もある。

ユダヤ教と旧約聖書 キリスト教の基盤となったのがユダヤ教である。旧約聖書は古代イスラエルの歴史、世界の創造から人類の誕生など、様々な物語が語られており、長い年月をかけて成立したユダヤ教の聖典である。この旧約聖書の考え方はキリスト教の土台となり、ヨーロッパの思想に多大な影響与えている。神(ヤハウェ)は、人類からアブラハムを選んで契約を結び、その子孫から神を中心とする新しい共同体(イスラエル)が生まれた。イスラエルの民はその後エジプトに入ったが、壮絶な迫害を受けたため、神は彼らを救うためにモーセを選び、エジプトから彼らを脱出させた(出エジプト)。厳しい荒野の旅のなか、神は彼らと改めて契約を結び、シナイ山でモーセに十戒を授けた。その後、神との約束の地カナン(パレスチナ)に入り王国を立て、ダビデやソロモンが王となったが、周辺諸国に侵略され、人々は新バビロニアに集団強制移住されられるバビロン捕囚にあった。捕囚の苦難のなか、神の意志を人々に取り次ぎ、告げ、知らせる預言者が現れて人々を導き、いつか神が救世主(メシア)を遣わすと告げた。捕囚から解放されたのち、人々神から授けられた律法を中心とする宗教共同体を再生し、律法主義的なユダヤ教が生まれた。

イエス・キリスト ガリラヤ地方のナザレの街で大工をしていたヨセフの妻、マリアの子としてベツレヘムの馬小屋で生まれた。この時大天使ガブリエルが、マリアが神の子を宿していることを伝える(受胎告知)。当時のパレスチナは、ローマの支配を受け、宗教的にも抑圧され、激しい抵抗や独立運動が起きていた。そのなかで、イエスは洗礼者ヨハネから洗礼を受け、神の教えを説き始めた。その後40日間、荒野で断食と祈りの生活に入る。そこで悪魔に誘惑されるが、それを退ける(荒野の誘惑)。彼の教えと活動は、当時のユダヤ教の枠組みに収まらず、ユダヤ教では差別されていた罪人、病人、異邦人(ユダヤ人ではない人)と交流し、神の愛(アガペー)は無償の愛であり、すべての人に注がれていると教えた。そのため、ユダヤ教の指導者層の反感を招き、ローマ皇帝に対する反逆者として訴えられ、ローマ総督ピラトに引き渡されて十字架刑に処せられた。しかし、弟子たちはイエスがその3日後に死からよみがえり(復活)、彼らの前に現れたと確信した。そして迫害を受けながらも、復活したイエスが救い主(メシア)であるという信仰を広めた。これがのちにキリスト教となった。

神の愛(アガペー)と福音 イエスの中心的な教えは神の愛(アガペー)である。アガペーは、慈しみ溢れる神が罪人も含めたすべての人に対して注ぐ愛で、見返りを求めない無償の愛である。イエスは律法も本来、愛の教えであるとし、律法に記されている「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい」という神の愛の掟と、「隣人を自分のように愛しなさい」という隣人愛の掟が重要であるとした。 またイエスは、心の中に神の愛を持ち、神や隣人に対して愛にもとづいて生きる人の心の中には、神の国がすでに実現していると教えた。この神の国にはすべての人が招かれている。このことが、全人類にとっての福音(喜ばしい知らせ)であるとする。

隣人愛と黄金律 隣人愛の考え方は、神の愛が無差別で無償の愛であることにもとづく。神の愛は分けへだてなく、自分だけではなく隣人にも注がれている。そのように自分も神に倣って隣人を分け隔てなく愛すべきであると考えられ、隣人愛が重視された。これは、すべての人が神の前において平等であるという考え方につながり、のちにキリスト教が世界宗教として広がる土台となった。隣人愛の実践について、イエスは「人にしてもらいたいことを人にしなさい」と言う。この言葉はのちに「黄金律(the golden rule)」と呼ばれ、倫理思想の中心的テーマとなっていった。

十二使徒 イエスの弟子の中で、伝道を命じられた12人を十二使徒と呼ぶ。ペトロ、アンデレ、大ヤコブ、ヨハネ、フィリポ、バルトロマイ、トマス、マタイ、シモン、小ヤコブ、ダダイ、イスカリオテのユダの12人である。イエスは処刑される前日、十二使徒と食事をともにし、その席上で自分を裏切ろうとする者がいることを指摘した(最後の晩餐)。

贖罪の死 イエスの死後、残された弟子たちは、神の子であるイエスがなぜ処刑されなければならなかったのか、そしてなぜ神はイエスを助けなかったのかという謎に直面し、その答えとしてキリスト教において大きな意味をもつ原罪と贖罪の思想が誕生した。原罪とは、人間自身の力ではどうしようもない、人間であること自体に由来する根源的な罪のことである。旧約聖書の「創世記」には、人類の始祖アダムが神の命令にも従わず、禁断の実(りんご)を食べ、楽園を追放されたとされており、すべての人間はうまれながらにアダムの罪を引き継いでおり、神の意志にそむいて自己中心的な生き方をする存在であり、人間自身の力ではこの罪から逃れられないとする考え方を原罪思想という。キリスト教では、イエスの死は、人間のこうした罪を贖うための死であったと説かれる。弱い人間にかわってイエスが犠牲になることで、全人類は罪から解放されたとし、これを贖罪の死という。また贖罪の死は神からもたらされたと考えられた。神にそむいた人間に神のほうから和解の手がさしのべられ、神の子イエスが使わされて犠牲にささげられ、そのことによって人間の神への関係が正されたとした。

パウロの信仰義認 贖罪という考え方によってイエスの死を解釈したとされるのは、使徒パウロである。彼はキリスト教の初期の伝道で大きな役割をはたした。パウロははじめ、ユダヤ教の厳格な律法主義者(パリサイ派)として、キリスト教徒の迫害を行っていた。しかし天からのイエスの声を聞いて回心し、キリスト教徒になった。パウロにとって律法は救いをもたらすはずであった。しかし彼は律法に忠実であろうとすればするほど、それを実行できない自分の罪に気づいた。「わたしは自分の望む善は行わず、望まない悪を行っている」と述べ、自分の罪の深さを自覚するとともに、「律法によっては、罪の自覚しか生じず」罪から解放されない自分に絶望した。イエスの声はパウロを絶望から希望へと導いた。彼は「人が義とされるのは律法の行いによるのではなく信仰による」という信仰義認を述べ、神の恵みを受け入れ、信仰と希望と愛による救いの道を説いた。これらはキリスト教の三元徳とよばれる。

アウグスティヌス 北アフリカのタガステ出身。19歳で哲学にめざめた。その後マニ教に傾倒したが、失望に終わった。27歳のときミラノでキリスト教司会の影響を受け、他方で、プロティノスの新プラトン主義哲学に触発され、32歳のときに回心した。のちに北アフリカのヒッポの司教となり、カトリックの教義の確立につとめた。アウグスティヌスによれば、人間は罪深く、神の恩寵によらなければ善を志すこともできず、救われることもできない。神による救いは神の意志によってあらかじめ決められているとする恩寵予定説を説き、その救いは神の代理人である教会を通じてのみ与えられる。このようにして、彼は、神の絶対性とカトリック教会の権威を基礎づけた。


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