太平洋戦争10

出典: Jinkawiki

2018年1月20日 (土) 03:58 の版; 最新版を表示
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太平洋戦争

開戦

太平洋戦争は、1941年12月8日、マレ-半島コタバルへの陸軍部隊の上陸作戦、続いてハワイ真珠湾への海軍機動部隊の奇襲作戦を機に開戦した。

原因

開戦をめぐっては、日米交渉の決裂がよく注目されるが、最大の原因は、日中戦争の打開を求める日本が、ドイツのヨーロッパにおける攻勢に幻惑され、英米による中国政府への支援を遮断し、併せて欧米の植民地支配下にあった東南アジア地域の戦略的資源を確保しようと、「南方進出」打って出たことであった。この結果、英米との関係は悪化し、時に米国は強力な経済制裁により態度を硬化させた。

情勢

開戦直後は日本軍が攻勢に立った。しかし、ミッドウェー海戦の敗北、ガダルカナル島からの撤退から、連合国軍の攻勢に転じる。1944年7月のサイパン島陥落以降、日本軍は絶望的抗戦を続けることになる。その後本土に移り、1945年3月末、沖縄戦を迎える。沖縄戦は、一般市民も巻き込む戦争になり、多くの犠牲者が出た。その後、同年7月26日、ポツダム宣言が発表されたが、ソ連を通した和平を期待していたので、受け入れず戦争はは継続される。その後、同年8月6日に広島に、8月9日に長崎への原爆投下や8月8日のソ連の参戦などにより、和平をあきらめポツダム宣言を受諾した。

作戦

太平洋戦争でとられた作戦は「総力戦体制」である。総力戦体制とは、一国の経済資源のみならず、人的資源までもが戦争遂行のために全面的に動員され、全国民の強制的均質化が促進された体制である。日中戦争開始後、国家の全経済力を戦争のため動員する総力戦体制の整備が必要と考えた陸軍は、1937年企画庁の創設を実現、1938年4月国家総動員法が公布された。

終戦


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