太平洋戦争10
出典: Jinkawiki
太平洋戦争
開戦
太平洋戦争は、1941年12月8日、マレ-半島コタバルへの陸軍部隊の上陸作戦、続いてハワイ真珠湾への海軍機動部隊の奇襲作戦を機に開戦した。
原因
開戦をめぐっては、日米交渉の決裂がよく注目されるが、最大の原因は、日中戦争の打開を求める日本が、ドイツのヨーロッパにおける攻勢に幻惑され、英米による中国政府への支援を遮断し、併せて欧米の植民地支配下にあった東南アジア地域の戦略的資源を確保しようと、「南方進出」打って出たことであった。この結果、英米との関係は悪化し、時に米国は強力な経済制裁により態度を硬化させた。
情勢
開戦直後は日本軍が攻勢に立った。しかし、ミッドウェー海戦の敗北、ガダルカナル島からの撤退から、連合国軍の攻勢に転じる。1944年7月のサイパン島陥落以降、日本軍は絶望的抗戦を続けることになる。その後本土に移り、1945年3月末、沖縄戦を迎える。沖縄戦は、一般市民も巻き込む戦争になり、多くの犠牲者が出た。その後、同年7月26日、ポツダム宣言が発表されたが、ソ連を通した和平を期待していたので、受け入れず戦争はは継続される。その後、同年8月6日に広島に、8月9日に長崎への原爆投下や8月8日のソ連の参戦などにより、和平をあきらめポツダム宣言を受諾した。
作戦
太平洋戦争でとられた作戦は「総力戦体制」である。総力戦体制とは、一国の経済資源のみならず、人的資源までもが戦争遂行のために全面的に動員され、全国民の強制的均質化が促進された体制である。日中戦争開始後、国家の全経済力を戦争のため動員する総力戦体制の整備が必要と考えた陸軍は、1937年企画庁の創設を実現、1938年4月国家総動員法が公布された。
終戦
1944年7月にサイパン島が陥落、同年末までにはフィリピン決戦に失敗する。陸海軍ももはや勝利の見込みのないことを認識しつつあった。しかし、統帥権の独立、陸海軍の並立などの中で、内閣、統帥部、陸海軍のは、明確な終戦のシナリオを描くことが出来なかった。結論から言えば、天皇の決断、いわゆる「聖断」によって戦争を終結させるほかなかった。したがって、昭和天皇の意向の変化が終戦の過程に少なからず影響を与える。陸海軍は、より有利な条件を求めて、本土決戦準備を進め、松代に大本営の建設を進めた。しかし、この対米本土決戦の構想は、ソ連との中立あるいは関係強化を前提としている点で弱点があった。これに対して、1945年2月に、対米降伏により国体を護持すべきとする近衛文麿の天皇への上奏は、終戦へのシナリオを明確に示した。しかし、この時は、敵に一撃を与え、有利な条件で講和に持ち込もうとする天皇の意向で退けられた。奇しくも、同月にはヤルタ会談において対日ソ連参戦の密約が交わされた。その後、硫黄島の陥落、東京など大都市への空襲の激化、沖縄戦と続く。天皇は、沖縄決選に期待していたが、その苦戦が判明し、ドイツが降伏する5月初旬、天王の意識は変化し、終戦を志向し始める。同月11,12,14日に開催された「最高戦争指導会議構成員会議」では、ソ連を通じての終戦工作が検討された。6月8日の御前会議では、徹底抗戦を唱える陸軍の影響で、国体護持のための本土決戦の方針が確認されるが、同月22日、天皇は「最高戦争指導会議」の構成員を集めた「懇談会」を開催、その後、ソ連を通じた終戦工作を推進しようとした。しかし、対ソ連終戦工作は実を結ばず、7月26日、ポツダム宣言が発表される。これに対して、鈴木貫太郎首相による「黙殺」の談話が出されるが、その後、8月6日の広島への原爆投下、8日のソ連対日宣戦布告、9日の長崎への原爆投下とソ連参戦と連続する。これらのうち、いずれが終戦の決定に影響を与えたか種々議論があるが、対米本土決戦はソ連との中立や関係強化を前提としていたし、対ソ終戦工作にしても、いずれもソ連対日参戦によって潰えたことは疑いない。 最終的に「終戦」に当たった日本の各指導者の関心は、国体護持=天皇制の維持を最低の条件として、これが達せられるか否かという、連合国、特に米国の意向を探ることに絞られていく。8月10日、日本政府は、米国に対し、ポツダム宣言が「天皇の国法上の地位を変更するの要求を包含し居らざることの了解の下」という「条件付き受諾」を申し入れるが、12日の米国バ-ンズ国務長官からの回答は、国体護持に対する明確な回答はなかった。しかし、13日にもたらされたスウェ-デンの岡本公司からの緊急電報により、その根拠が得られたと判断され、14日の御前会議において、ポツダム宣言の受諾が決定された。 宣言の受諾後も、千島列島などで戦争は続いたが、9月2日、戦艦ミズ-リ号艦上において降伏文書が調印され、戦争は終結した。
参考文献
「史料でたどる日本史事典」木村茂光・樋口州男/東京堂出版、「大系日本の歴史 14二つの大戦」/江口圭一/小学館