ユーゴスラビア3
出典: Jinkawiki
1. 紛争勃発までのユーゴスラビア
旧ユーゴスラビアは人口2350万人、面積は日本の七割弱であった。大国ではないが、国内に様々な民族を抱えており、その数は主要民族だけで六つ、少数民族を加えると30近くにおよんだ。1918年12月1日に「セルビア人・クロアチア人・スロベニア人の王国」として建国され、29年にユーゴスラビア王国と改称された。第二次世界大戦では、王国政府が10日で、イタリア・ドイツの枢軸国軍に降伏したが、ユーゴ共産党は「諸民族の友愛と団結」を呼びかけ、国民の心をとらえた。チトーの指導するパルチザン抵抗運動は急速に影響力を拡大して、ユーゴは旧東欧社会主義国家では唯一、ソ連赤軍に頼らず、ほぼ自力で国土を解放した。戦後、ユーゴスラビアは「社会主義連邦共和国」となったものの、ソ連の干渉には頑固に抵抗し、自主管理・非同盟など「独自の社会主義」路線を歩み始めた。1980年に行われた、チトーの葬儀には小国にもかかわらず、各国とも元首・首相クラスを派遣した。ここから、当時のユーゴの国際的な地位と評価がいかに高かったかがわかる。
2. 紛争勃発
建国してから73年あまりで、20世紀の最初に誕生したユーゴスラビアは、21世紀を待たずして消滅した。かつてユーゴが存在していた地域には、国内に様々な民族を抱えていた。現在は、スロベニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、セルビア、モンテネグロ、マケドニアと6つの国が形成されている。このユーゴスラビアの崩壊にあたっては、①スロベニア紛争、②クロアチア紛争、③ボスニア・ヘルツェコビナ分割紛争の3つの戦争が起こっている。
3. 三つの戦争
これらの3つの戦争を一つずつ見ていく ① スロベニア独立紛争 1991年6月末から7月初めにかけて勃発。スロベニアの独立を阻止しようとしたユーゴ人民軍がわずか10日間で敗北。現地ではこの戦争のことを「10日間戦争」と呼ぶ。 ② クロアチア戦争 1991年八月末から1995年にかけて勃発。現在のクロアチア国内にいた少数のセルビア人が、クロアチア独立の動きを受け、小規模の武力衝突が続いていた。子のセルビア人たちを助けるためにユーゴ人民軍が介入。これにより内戦が勃発しクロアチアが完全に勝利する1995年まで、一回の休戦をはさみ戦いが展開されることになる。 ③ ボスニア・ヘルツェコビナ分割紛争 1992年4月初めから、1995年までにかけて勃発。この地域には、セルビア人・クロアチア人・ムスリム人が暮らしていた。この3つの派が支配地拡大を目指して戦いが起こる、隣人殺しの悲惨な戦争であり、人口の半数の200数十万人が家を失い、難民となった。紛争が終わった現在でも様々な問題を抱えている。
参考文献
千田 善 1993 「ユーゴ紛争」 講談社 柴 宣弘 1996 「ユーゴスラビア現代史」 岩波新書