スペイン継承戦争
出典: Jinkawiki
フェリペ4世のあとを継いだカルロス2世は、生涯病弱で王位継承者がなくフランスとオーストラリアにその王位をねらわれ、ルイ14世の外交攻勢に屈して、カルロスは、ルイの孫アンジェ―公フィリップを後継者に定めて亡くなった。フィリップは、1700年11月フェリペ五世として即位し、スぺイン・ブルボン朝を開いた。これに対してイギリス、オランダ、オーストラリアが対仏大同盟を結成し、フランス、スペインとスペイン継承戦争を引き起こした。
この戦争は、ハプスブルク朝対ブルボン朝という王朝戦争の性格を持つと同時に、イギリス・オランダ対フランス・スペインの国際商業戦争でもあり、戦場はスペインのみならず、イタリア、フランドル、アメリカに拡大された。また、カタルーニャは、1705年、伝統的地方主義と反ブルボン的意識にたち、ルション地方の回復も期待してまたも反乱を起こした。カタルーニャの抵抗は継承戦争中も続けられ、1713年ユトレヒト条約でフェリペ5世が承認されたあと、翌年フェリペ5世のバルセロナ攻撃によってようやく鎮圧された。
概要 スペイン継承戦争はスペインに大きな犠牲をしいたが、他方では王権による絶対主義的統一と改革を促す機会となった。バレンシア、アラゴン、カタルーニャなど旧アラゴン連合王国内の自治特権や法秩序は、戦争中に廃止されたし中央・地方の統治機構は、戦後フランスにならって整備され、王権の統一的な支配が末端にまで及ぶようになった。全国的な統一税制にまでは至らなかったが、税制改革もこころみられた。国内関税の撤廃は、ナバラとバスクを除いて実現した。経済政策も、コルベール主義にならった重商主義が取られ、政府は産業の発展をはかって、奢侈工業や織物業などに王立マニュファクチュアや特権マニュファクチュアを成立した。さらに、18世紀の後半からは経済自由主義が進められてきた。
参考文献 世界近代史全史 大江一道 1991年 山川出版社 スペイン継承戦争ーマールバラ公戦記とイギリスハノーヴァー朝誕生史 友清理士 2007年 彩流社
Hネーム Sato