アンネ・フランク6

出典: Jinkawiki

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人物


アンネリーゼ=マリー=フランク(1929年6月12日~1945年3月上旬)はユダヤ系ドイツ人であり、ドイツフランクフルトでユダヤ人実業家の家に生まれる。 4才の時、ナチスの迫害を逃れてオランダのアムステルダムに移るが姉のマルゴットにナチスから呼び出し状が届いたことから父親があらかじめ用意していた隠れ家に移り住む。 不安な生活の中で父から贈られた日記に「キティ」と名付け2年あまりの間書き続けた。 後に「アンネの日記」となり有名になった。


隠れ家に住むまでの迫害


1941年1月9日 ユダヤ人は映画館に入れなくなった。アンネはハリウッドの有名なスターの写真を部屋に貼るなど映画好きだった。

1941年5月 ユダヤ人は公園、プール、ホテル その他公共施設も利用禁止となる。

1941年8月29日 ユダヤ人はユダヤ人学校以外通うことを禁止された。アンネはそれまで通っていたモンテッソーリスクールからユダヤ人のみ通う学校に転校することになる。

1942年4月29日 ユダヤ人は胸に「ダビデの星」というワッペンを付けることを義務付けられた。

1942年6月30日 ユダヤ人は夜8時から朝6時まで外出禁止。 ユダヤ人以外と遊ぶ事も禁止させられた。


アンネの日記


アンネの死後、「アンネの日記」として世界中で出版される。 映画化(1959年)もされ日本でも上映された(1979年)


アンネの言葉


どんな迫害を受けようともアンネフランクは希望を失わず日記の最後の方に以下のように記述している [私は今でも人間の心は本当は善なのだと信じています・1944年7月15日]


参考文献


アンネの日記 文芸春秋 アンネフランク最後の7ヵ月 徳間書店 写真集・アンネフランク 小学館 少女アンネの悲しみ 偕成出版 目でみる 世界人物百科 2 芸術・文学人物事典 日本図書センター

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