歴史認識

出典: Jinkawiki

2019年1月19日 (土) 09:32 の版; 最新版を表示
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目次

 はじめに 

日本の「歴史問題」は、主にアジア太平洋戦争での経験と敗北に根差している。アジア太平洋戦争の開戦から終戦まで、約15年にわたる多くの非人道的行為が見られ、日本と東アジア諸国の間、現在では中華人民共和国と朝鮮民主主義人民共和国において、その戦争の「記憶」が火種となり、外交問題へと発展する場合があった。

 アジア太平洋戦争 

  • 1931
柳条湖事件(満州事変)
  • 1941.12
マレー作戦・真珠湾攻撃
  • 1945.8.15
ポツダム宣言受諾
  • 1945.9.2
終戦

 近隣国との関係 

  • 日韓関係
2005年に小泉純一郎首相の靖国神社参拝をきっかけに韓国の廬武鉉(ノムヒョン)大統領との関係が悪化し、首相レベルの相互訪問を行う「日韓シャトル外交」が一時的な廃止(2008年に再開、2012年に停止、2017年に日韓首脳により再開)に追い込まれた。
  • 日中関係
両国の異なる歴史認識をきっかけに両国間の緊張が高まり、尖閣諸島の領有権の問題が外交問題のみならず、2010年には海上保安船と漁船を巻き込んだ物理的な衝突にも間接的につながった。

 国際関係論からみる「歴史認識」 

「歴史認識」の構築過程の要点をおさえるには、国際関係理論の「構成主義」のアプローチが役に立つ。構成主義によると、人間や国家といった主体から発せられるアイディアは社会に反映され、市民社会、国家、国際社会の価値基準、つまり、「規範」となる。その規範は、主体の行動基準として機能し、主体はその基準に従って判断を行っていくという。規範形成の基盤となるアイディアは、主体の経験に基づくアイデンティティから構築されるものが多く、社会から支持を得ることによって規範へと変化する。当然ながら、確立された価値基準はいつ変わるのか、といった疑問が残るが、多くの場合は、戦争といった危機に瀕した場合に変わることが多い。構成主義のアプローチは、このように規範形成のプロセスやその影響力の解明に用いられており、歴史認識が形成される過程、社会において様々な歴史認識が存在する理由などを理解するために役立つ。日本にまつわる歴史認識の問題は、靖国問題、南京事件、従軍慰安婦問題など多く、包括的に考える必要がある。

 歴史認識 

日本における歴史認識は、社会状況の変化と共にその議論の焦点が変化してきている。その中でも靖国神社は、戦前・戦後と時代を貫く存在であり、その存在理由は、日本の歴史認識の変化の影響を受けている。

 まとめ 

 参考文献 

  • 細谷雄一『戦後史の解放Ⅰ 歴史認識とは何か -日露戦争からアジア太平洋戦争まで』新潮社
  • 橋本伸也『記憶の政治ーヨーロッパの歴史認識紛争』岩波書店
  • 日本国際政治学会編『国際政治(歴史認識と国際政治)』第187号

  人間科学大事典

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