韓国近代史とハングル
出典: Jinkawiki
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概要
韓国語・朝鮮語を書きあらわすのに用いられる文字をハングルという。朝鮮王朝期(1392-1910)、第4代王の世宗大王の時代の1443年に創案された。(1446年公布)それまでの韓国では中国の漢字が使われていたが、一般庶民は読み書きできなかった。民衆にもわかりやすい独自の文字としてつくられたのだ。最初は漢字学習の補助として使われ、その後日本統治下における朝鮮は日本語の優位、解放後の韓国は米軍政下における英語支配をそれぞれ経験することとなった。
ハングルの発見
長らく非公式的な文字だったハングルの有用性に、近代になって最初に着目したのは、日本人であった。朝鮮の近代化に向けて、文化的誘導の必要性を唱えていた福沢諭吉である。朝鮮の一般庶民の意識改革には識字率の工場がが必要だと考えていた福沢諭吉は、自費でハングル活字を作っていた。
当時の朝鮮では、文書は漢文で書かれていたため、朝鮮の民衆の多くは情報に触れることができなかった。しかし、福沢諭吉と井上角五郎が刊行した朝鮮最初の近代的新聞『漢城旬報』は漢字・ハングル混用で書かれていたため、比較的幅広い層の読者を獲得できた。また、それまで正字の扱いを受けずに軽蔑されていたハングルは、この新聞の発行によって新たな地位を得る第一歩を得た。
ハングルが公用文に用いられるようになったのは1894年の甲午改革以降のことであった。
甲午改革以後、公的文字生活においても国漢混用文が用いられるようになると、学習の容易さ、表音文字の利便性によりハングルは急激に普及した。
しかしその後、日本統治時代に入ると、朝鮮は朝鮮語と日本語のバイリンガル社会となる。日本語は「国語」とされ、学校教育や行政・法律分野で用いられた。一方、朝鮮語は朝鮮人の母語・生活語であり続けた。日本統治時代末期には日本語が「常用」とされた。
米軍政期のハングル
韓国社会で、ハングルが現代のような地位を占めるようになったのは、日本統治からの解放後のことである。
1945年8月15日以降、第二次世界大戦の終了により日本統治から解放された朝鮮は、北部はソ連軍、南部は米軍により占領された。以後3年間、南朝鮮では軍政庁の統治による米軍政期が続いた。軍政開始とともに英語が公用語とされ、一時的にトライリンガル状況となった。韓国社会では、朝鮮語が再び用いられると同時に英語や英語系外来語が流行となる。その一方で、朝鮮語よりも日本語の方が理解しやすいというものもいたし、日本語を母語とする者もいた。
しかし、解放前から朝鮮語・ハングルの研究・普及を強力に推進していた「朝鮮語学会」が、解放による民族意識の高まりから朝鮮語の復権・ハングル専用を目指した。その心中には日本語や日本語由来の漢字語を排撃する意図があった。
米軍政当局である軍政庁も米的民主主義の普及・定着の意図から言語問題を特に教育政策の面からとらえ、朝鮮語による学校教育の確立を目指した。教育制度の再建、校舎の軍事利用、教科書編纂、教科書出版用紙の不足などの現実的問題を抱えており、米国的民主主義の移植の成就にはそれらの課題に対することが先決であった。
また、米軍の朝鮮占領に対する準備不足は知られているところであり、軍政庁の朝鮮社会に対する理解度は十分なものとはいえなかった。そこで軍政庁は朝鮮におけるそれらの事情に明るい朝鮮の言語学者・教育家らをスタッフとして登用し、言語政策や言語教育について彼らに質問したり、仕事を委ねるなどした。
参考文献
砂岡和子、池田雅之 編著 『アジア世界のことばと文化』 早稲田大学国際言語文化研究所
朴永濬、柴政坤、鄭珠里、崔炅鳳 著 中西恭子 訳『ハングルの歴史』 白水社
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